2015年1月25日

「自己責任」というリスク

まだ確認はされていませんが、イスラム国に人質として拉致されていた湯川氏が殺害されたというニュースが今朝は流れています。理由はどうあれ、本人の意図を無視して行動を制限し、且つ生命まで奪う権利は誰にとっても無いわけで、そのことに関しては強い憤りを感じます。ただ、だからといって自分達が何でも出来る、どこにでも行ける、と言う理由になるわけでは無いわけで、そう言う危険リスクを回避する義務は本人にあるわけですよね。特に今回の場合は、既に紛争がエスカレートしている地域に、その地域で軍事目的のビジネスをしようという、一寸火に油を注ぐような目的で渡航していたわけですから、どれだけ危険度のリスクを認識していたか疑問を感じます。

危険のリスクと言う意味では、普通に日本国内で生活していてもあるわけで、例えば交通事故なんかは車を運転していない区手も外を歩いていて巻き込まれることもあるわけです。完全に交通事故のリスクを回避しようと思ったら、外出しなければ良いかもしれませんが、例えば道路沿いのうちなら外出しなくても車が突っ込んでくるかもしれない。道路から外れたマンション奈良大丈夫かもしれないけれど、今度はそのマンションでの火事に遭遇するリスクとか、別のリスクが生まれてきます。こじつけみたいな理由だけれど、結局は世の中には必ず某かのリスクが存在していて、そう言うリスクと折り合いながら生きていくしか無いわけですよね。

悩ましいのは、そう言うリスクの高低とそれに伴う利益(リターン)の高低が反比例していること。今回の湯川氏の場合も、戦場での軍事ビジネスと言う「ハイリターン」を狙って、あえて「ハイリスク」を犯したと言えるわけですよね。後藤氏にしても、湯川氏救出という「ハイリターン」を得るために、仕方なく「ハイリスク」を取るしか無かった。「ハイリターン」と言っても、物理的な利益というよりは、彼個人のジレンマが突き動かしてしまったという理由でしょうね。

この事件は事件として、何とかして無事に解放して欲しいと思います。一方で、「自己責任」というリスク管理についても考えさせられる事象になりました。日本国内で生活していても、怪しいお店の呼び込みに呼び込まれるのもリスク。海外の観光地に旅行していても、すりや何らかの暴力行為に遭遇するかもしれないのもリスク。さらに、ビジネスあるいは個人的信条で行動することも、何からのリスクを伴うことを再認識しないと。

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