2015年1月13日

情報戦略

日中の合意文書で、英語版の公開が中国側の方が数時間早いので、国際的に引用されるのは中国側のものという話。外交文書だけに正確性は必要だけど、外務省が間違っているのは、情報には同時に速報性も要求されると言う事を理解していないこと。それが、翻訳スキルの問題なのか、外務省内の手続きの問題なのか分からないけれど、一旦世の中に出た情報を訂正・修正することは非常に難しく、また先に出た情報が優先して拡散されるという原則を理解していない。

こういう場合は、まずサマリーで良いから日本側として譲れない部分、肝となる部分、最重要な部分を複数の言語で配信すべき。本当ならば、日本語・中国語でオリジナルを作成しているときに、平行して英語版とかフランス語版とかも作るべきですよね。で、先ずはサマリーを公開して、その後その補足として完全版を公開すれば、少なくとも相手に全て持って行かれることも無いはず。

さらには、出来るだけ多言語での公開もするべき。英語が事実上世界の標準語ではあるけれど、母国語の同じ内容の情報があれば、それを使うのが人の常。ある意味、量で相手を抑える戦略ですよね。情報の要素としては、「速さ(鮮度)」、「正確さ」「量」の3つがあると思うけれど、その順番で重要度が決まると思います。日本人の性格からすると、どうしても「正確さ」を重視しがちだけど、それは間違い。少なくとも、世界を相手に仕事をするなら、ある程度の内容を包含した情報を出来るだけ早く相手に届けるのが情報戦・情報ビジネスツールとしての鉄則。言ってみれば、まずはインデックス、あるいはアブストラクトを兎に角直ぐに配信して、相手の中にその情報をこちらに導くアンカーを設定し、後はそのアンカー経由で流れてくるユーザーに必要な情報を提供すれば良いわけですから。

で、「速さ・正確さ・量」に続いて重要なのが「保守」。いゃ、保守主義の意味じゃ無くて、メンテナンスの「保守」。例えば、検索システムに引っかかるようにタグを設定するとか、独自のDBなりを持っているならアクセスしやすさを追求するとか、同士も情報の場合は発信したらそれまでと言う事が多いけれど、必要な時に必要な情報にアクセス出来る事で、地道ではあるけれど将来的には相手の情報が希薄した後もこちらの情報が残っていれば、今度はこちらが有利になります。日本の場合、古くからの書き物とか書籍が多く残っていて、それは日本の「和紙」であったり「墨」という情報ツールが優れていたからだと思うんですよね。現在の場合はデジタル化されていて、そのデジタル上での環境整備も重要だけど、そう言うものを整理して書籍化するとか、あるいは一箇所だけで無く、例えば新聞記事にしてメディア各社のDBの中にも残していくとか、大学などのDBに残していくとか、やり用は色々あるはず。ある意味「量」の戦略に近い部分もありますが、そちらは広く広げていく二次元的な要素に対して、「保守」というのは時間や種類を増やしていくような三次元的な広がりになるんじゃないでしょうか。

最近の「物作り」って言うのも、そういう部分も考慮して行かないと、結局は口コミ時代の日本の家電が衰退したように、どんなに良い商品を作ってもこれからは生き残れないと思う。AppleのiPad/iPhoneが成功したのも、iTunesという情報ツールを上手く利用したからだと私は思います。日本という素材をどう上手く伝えていくのか、これまでに無いような情報ツールを考えないと、圧倒的な量で押してくる中国とか韓国には、いつまでたっても後塵を拝するだけで終わりそう。

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