2015年1月13日

フランス人と韓国人

フランスの新聞社襲撃事件で、何百万人という人がテロ反対の行進をして、その様子が世界中に配信されています。ただ、少なくとも国内のメディアの報道を見ていると、あるメディアは「新聞社襲撃」ということから報道の自由を訴えるし、またあるメディアは対テロ対策を訴えています。聞くところによると、今回襲撃された新聞社は、風刺漫画で有名なところらしいけれど、少なくとも今回の原因の一つであるイスラム教に対してはかなり辛辣な内容を何度も掲載していたらしい。フランス人と言うと、「エスプリ」なる、一寸毒の入ったブラックユーモアーと言うか、結構辛辣な皮肉が得意なわけで、以前は日本もやり玉に挙がったことがあって、一般的な日本人と思っている自分が聞いても、それは著つと言いすぎじゃ無いのか、フランス人にとってはエスプリかもしれないけれど、日本人にとっては侮辱的な印象になるんじゃ無いのかと思ったこともあります。その国民性や文化背景によって、かなり受け止め方が違うのが普通なわけです。そう言う意味で、確かに言論の自由は重要だけど、それに行きすぎは無かったのかなと言う素朴な疑問も生まれます。

フランスの事件を見聞きしていて、ふと感じたのが隣国の事。フランスの「エスプリ」なんて言う高尚なものでは無いけれど、自分達は絶対真実・世界の中心・最高権威と言う意識を常に持っている人達だけに、特に日本に対しては聞く耳持たないという時間がずっと続いています。正確に言えば、多分国民一人一人はそれ程では無いけれど、国民のあるいは国の声を代表しているメディアが「我は正義なり、ペンは真実なり」みたいな態度で結構飛ばした記事を書いているから、それが最近の反発を生み出していることは事実。その様子は今に始まったことでは無いけれど、これまでの日本はまぁそのうちに飽きて終わるだろうと思ったら、どんどん激しく大きくなり、正直ウンザリして堪忍袋の緒が切れかかっているのが、最近の日本の雰囲気・気分だと思う。

「ジャイアンの心理」とでも言うべきか、人間は相手が嫌がっていることが分かると、何となくそれを続けてさらに相手を困らせて喜ぶという、一寸残酷な心理があると思うんですよね。子供頃は、まだ精神発達も途中だからそう言うことに歯止めが掛からず、限度が過ぎると喧嘩になったりするわけですが、そう言うことを繰り返して、する側・される側それぞれの気持ちが分かり「ここまでは許されるけれど、これを超えたらダメ」という按配みたいなものを身につけて行くんだと思います。それが良いか悪いか一概には言えないけれど、でも社会人なり仕事をするようになればそう言う場面は日々生まれていくわけで、そう言う体勢というか経験の無い人は暴発しがち。相手の限度も考えずに、自分達本位でエスプリを過激化させていったフランス人にしても、思い込みと猪突猛進の性格で一度思うとそれしか見えなくなる韓国人にしても、何か根っこは同じような気がする。

そういゃ、どっちも「面倒くさい奴ら」というのも似ているかも(をぃ)。

0 件のコメント:

コメントを投稿