2014年9月12日

三つの吉田

昨日は三つの「吉田」がメディアで話題になった日になりましたね。

一つ目の吉田は「福島原発の吉田元所長」。非公開の調書が何故か朝日新聞の手に渡り、その内容を記事にするところまでは良かったけれど、「原発を捨てて撤退」というショッキングな報道を世界中に振りまくことに。しかし、他のメディアが同様の資料を入手して検討すると、多少の違いはあっても朝日の報道時180度異なる内容。確かに、事故当時の混乱から命令系統があやふやで所員の大部分が一時福島第二に非難したことはあったようですが、朝日新聞が記事にしたような「命令違反で全面撤退」みたいなものではないと感じます。それに、その後再び福島第一に戻って被害対策を続けているわけですからね。朝日新聞の木村社長が記事取消、謝罪、進退問題に言及したけれど、この吉田所長記事がここまでの自体になった原因に関しては、まだ曖昧というかはっきりした態度を取っていない。

二つ目の吉田は、いわゆる慰安婦問題の元ネタとなった吉田清治氏の一連の書籍や発言に関して、朝日新聞は記事を取り消した物の、謝罪しなかったこと。30年以上経ってやっと間違いを認めて記事は取り消したけれど、その間に発生した様々なことに関しては取消も無いし謝罪も無い。その態度が世間から、しかも仲間と思われていたメデイアからも批判されて、それが今回の吉田所長の件でさらにのっぴきならなくなって、この会見では慰安婦問題に関しても謝罪はしたようですが、「広義の慰安婦問題は残る」という立場は変えないみたい。そりゃぁ、混乱していた戦時中にはいろいろな事が発生していたことは確かだけど、仮にも公共の報道期間であるならば、間違ったソースに関わった記事や発言は先ず一度全て取消、その上で新たに自ら取材した結果を記事にすべきでは。例えば食材の偽装があったときに、食品メーカーがその食材を使ったと分かった食品だけ回収したら、多分誰もがその態度を批判するでしょ? 同時期に製造したと思われる食品、確証は無いけれど疑わしい食品、安全性を考えてマージンを取って対応するのが常識。メディアだって、同じで、仮に一人の証人の発言を元に記事にしたのなら、その人が50%は正しく50%は嘘の発言をしたなら、まずはその人のひつ源は全て疑うのがメディアとしての立場でしょう。その上で、50%の正当性を別途取材で追求して、必要なら再度記事にすればよい。仮に以前と同じ内容になったとしても、疑問のあるソースから構築された情報ではないということで、その記事の正当性は担保されるわけですからね。

そして三つ目の吉田は、女子レスリングの吉田選手。今回レスリングの階級が替わり、体重クラスを落としての挑戦。除霊の場合、どうしても体重が増えやすい体質なので、3kgも落として且つ必要な筋肉や体力を残しての挑戦で、勝利するというのはなかなか出来る事じゃ無い。同じ大会で伊調選手も体重クラスを落として優勝しているけれど、彼女たちの努力は並々ならぬものだったでしょうね。そんな努力と比較しては失礼だけど、大メディアの煮え切らない態度の会見に、ますます不信感と疑惑を感じる、「三つの吉田」でした。

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