2014年7月28日

報道ルール

長崎県佐世保市で発生した、高校の同級生による殺人事件。高校一年生のしかも女子高校生による殺人事件と言うだけでも飛散なのに、殺害した相手の首と左手首を切断していたとさらに信じられないような状況も報道され、一体どういう事情からどの様なことが発生したのか、想像すら出来ません。地元の有名進学校に通学していたと言う事で、何か学校の成績絡みなのか分からないけれど、ここ数日続く猛暑の暑さで何かが狂ってしまったとでも思いたいような事件。

事件の悲惨さと同じくらい身につまされるのが、事件後の各種報道で何度も画面に映される殺害された女子高生の写真。一方で、殺害したとされる女子高生の写真は、未成年者という事もあるからだろうけど当然ぼかしが入った物が使用されていて顔などは分からない状況になっています。この事件だけでは無いけれど、いつも被害者の個人情報は一般に公開されて、加害者はぼかされたままなのはおかしいと感じます。特に今回は15歳の未成年者の事件。名前すら出す必要は無いんじゃ無いだろうか。「佐世保市内で、しないの高校に通学する女子高生Aさんが、同級生のBさんに殺害された」という表現だけで十分事件の様子も伝わるし、悲惨さだって感じられます。

今の時代、仮に報道が匿名で行われたとしても、周りの人間が調べてネットにアップされることも確実ではあるけれど、だからといって公共報道機関が最初から特に未成年者の氏名を報道することは許されるのだろうか。いつも思うのは、仮に自分の身内にその様に事件が発生して命を奪われたとすると、その事実と向き合うだけでも精一杯で、ましてやテレビやメディアに取り上げられて、何度も事件の詳細や本人の名前さらにはプライベートのことなど報道されることは耐えられないと思うんですよね。事件の背景を知らせるために必要と言うことをメディアは言うかもしれないけれど、それは捜査権を持つ警察の仕事で有りメディアの仕事では無いはず。逆にメディアは視聴率や購読率をアップするために、多謝が報道していない刺激的な内容屋より希少性のある情報を探して報道しようとするから、ますます個人が蔑ろにされていく気がします。

さらには事件直後に双方の同級生にインタビューする場面も画面には登場したけれど、あれだった周りの人間には衝撃が強いわけで、どう言うつもりでインタビューして放送しているのかいつも疑問に感じます。高校生どころか、中学生や小学生に衝撃的な事件のインタビューとかしている場面なんか、個人的に怒りすら感じるくらい。テレビなどの「視聴率」と平行して「不快率」みたいな指数を導入して、それが視聴率を上回ったら何かペナルティーを与えるとか出来ないだろうか。メディアが真実を伝えることに注力することに色員は無いけれど、だからといって何でもかんでも表に出せば良いという話でも無い気がします。

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