2014年6月25日

野次の本質

東京都都議会でのセクハラ野次の件、自民党の男性議員が名乗り出て色々批判が高まっているけれど、でも問題の本質って、その野次の内容では無く、議論に不要な「野次の存在」自体のはず。でも、何処のメディアもそんなことは言わなくて、野次の内容が女性蔑視だとセクハラだとかという、週刊誌的な報道しかしないんですよね。野次の内容にしても、今回は相手が若い女性議員だったからなのか、各メディアが執拗に報道しているけれど、同じような発言って以前でも国会で少子化問題の発言の時にも出ていた記憶があるし、安倍総理に対しても「種なし」とか「(水を飲んで)お腹痛くならないのか」と行った、個人のプライバシーに関しての酷い野次があったと思うのに、誰もそれは指摘しないのね。

で、報道がヒートアップしてくると、肝心の野次の有無や内容からどんどん広がって、男性議員のこれまでの色々な行動とか、女性議員が昔は「恋のから騒ぎ」に出演していて、結構高ビーな発言や、犯罪行為に近いような事を言っていた前歴も明らかにされてくるわけで、これらって場合と内容によってはセカンドレイプに近いような話にもなりかねないのでは。

先日の女子高生殺害事件にしても、最初は通り魔の犯行かというような報道だったのが、事件を掘り下げていくと、実は其れ以前にも遠距離同士で会っていたことが分かったり、ちょっと内容が微妙になってきたりします。親御さんにしてみれば、娘が殺されただけでもショックなのに、その原因となる其れ以前の行動や行為まで分かってくると、もうなんと言ったら良いのか分からないでしょうね。どこから何処までで線引きすれば良いのか、簡単には決められないことではあるけれど、最近の事件報道を聞いていると、最初は衝撃的な事件・悲惨な事件として報道されているのに、時間がたつにつれて、だんだんとゴシップ的な内容、週刊誌記事のような興味本位の内容、プライバシーや関係者の気持ちを踏みにじるような内容にどんどんシフトしていきます。

世の中の仕組みというか人間関係なんかも20年、30年前とは大きく変わってきていて、特に携帯・スマホやネットワークがほんの10年前と比較しても格段に変わってきているので、事件の原因も変貌していることは理解出来ます。ただ、それに合わせてメディアとかマスコミも、昔よりも読者や視聴者を煽るような傾向になっていると感じるのは気のせいだろうか。ありきたりの情報や報道では読者の興味を引けないので、より刺激的なより意外性のあるような内容を求める傾向にあるんだろうなぁ。一種の中毒症状といっても良いのでは。結局今回の野次事件にしても、本来慎むべき不正規発言である野次に突いてはほとんど触れられず、その内容に関してのみ報道は進んでいますからね。

野球やサッカーの試合観戦をして野次を飛ばしているんじゃないわけだから、もうちょっと議員なら議員らしい態度で仕事をしろよと言いたいところ。野次じゃ無くて、発言者に賛意なり反意を示したいなら、賛成なら拍手を、反対ならブーイングだけすりゃ良いじゃん。あるいは、手元に赤と白の札を全員に用意して、賛成=白、反対=赤で議場を埋め尽くす、なんていうのでもいいかも。何かコンサートみたいだけど。大体、ああいった議会の内容というものは、その場でも傍聴可能だろうし、最近ならテレビ中継とか録画で広く人々に伝えるべき者のはず。発言者の声が小さい場合もあるだろうけど、不必要な野次なりでその発言を邪魔する、聞こえなくすると言う行為は、言論の自由の侵害でもあるし、知る権利の侵害でもあるし、税金で運営されている議会の運営妨害=税金の無駄遣いでもあるわけで、そういうところまでちゃんと掘り下げて、野次の本質なるものを明確化しないと。今回のセクハラ発言が良いとは決して思わないけれど、結局はその発言の周りのゴシップ的な部分しか注目されていないような気がします。

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