神奈川新聞に掲載されているコラムから。まぁ、なんというか香ばしい内容だけど、ドラえもんの配役になぞらえた国の配置は間違っていますよね。ジャイアンは中国、スネ夫は韓国、のび太が日本で、意地の悪いドラえもんがアメリカ(をぃ)。
この筆者は1977年生まれなんだけど、実際に戦争時や戦後の話を体験者(例えば祖父母とか)から聞く機会とかどの程度あったんだろうか。自分も戦後生まれだけど、子供の頃は祖父母も健在で、その祖父母の兄弟や実際に戦争体験者の親戚も多くいて、子供心に色々な話を聞いていたわけですが、それから10年、20年と過ぎると、どんどんそう言う機会は減っていき、結局書籍とか二次情報から自分の主義主張を構築するしか無くなります。インターネットの発達によって、広範囲に色々な情報にアクセスして認識や理解を進める事が出来るようになってきたけれど、多分この人達の世代って、インターネットにアクセスする前に自らの情報リテラシーが固定化されていて、より多くの情報に接することが出来るようになっても、自分にとって都合の良い情報しか信用しないモードになっている気がする。
いろいろな主義主張、あるいは思想や理論があって言い訳で、本来メディアというプラットフォームは、そう言う異なる多種多様な意見を平等に採り上げて、読者に自らの考えを構築させる「機会提供」の場であるべきなんですよね。それが最近というか、ここ数十年の間に、なにか「メディア=正義のヒーロー」という使命感に燃えてしまって、自らが紙面で批判する「米国の横暴」とか「多数による強行」というような行為を、自ら行っていることに気がつかない、というか知らぬ顔をしている事が、メディアの凋落の原因で有り問題じゃないかと思うわけです。
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