2013年10月23日

放送と報道

台風27号の接近も睨みつつ、未だ不明者の捜索が続く伊豆大島。被災直後よりも露出度は減っているとは言え、それでもこう言う問題が発生しているようです。所が、26号の被災直後には、逆にこんな話もでていたんですよね。多分、被災直後の方が、放送局やその他メディアが集中しただろうから、実際の騒音は大きかったような気がするんですが、それが落ち着いたと思われる今週になってから「五月蠅い」という話が出てくるのは、ちょっと疑問に感じます。

ただ、放送局やら新聞社やら、何社も取材ヘリや中継ヘリを飛ばしているのは毎度のことで、だからどのチャンネルを回しても同じような絵が写るわけで、あれって共同取材のような形でもっとシンプルに出来ないのか、いつも感じます。例えば、ヘリが飛ぶスペースが10台分あるとして、その半分がメディアのヘリであれば、被災者なら被害を捜索するヘリの数は半分になるわけですよね。そりゃぁ現地の悲惨な様子を一刻も早く伝えたいという気持ちも分からないでも無いけれど、その悲惨さを多分その被害とは直接的には関係無い人に伝えることよりも、その分のリソースを救助や被災対策に回した方がよほど意味がありますよね。

勿論、現地に家族や知り合いがいて、一刻も早く安否確認をしたいという人もいるでしょう。でも、そう言う人が仮にメディアに問い合わせても、そこから安否確認が出来るわけでも無いし、たまたまその時の取材で似たような名前の人が手元にあったから助かっている・駄目だったなんて言うことを言えるわけでも無いだろうし。自然災害でも何かの事故であっても、多くの人が出来る事は一刻も早い救助活動を祈ることだけなわけです。その場合、どこそこの場所でこれだけの被害があったという情報だけで必要十分ではないですかね。勿論、毎日一回は情報更新をして、さらに何人助かった、もっと酷い被害があったというアップデートは必要だと思うけれど、殆どの人にとって、同じような内容のレポートを何度も見た被災地を背景に一時間毎に繰り返される事に、メリットを感じないと思います。

今回の話は、空中を飛行するヘリコプターの話だけど、例えばスタジオから現地の担当者や被災者に電話をして、相手の時間を奪うようなことって、その直後のタイミングで必要だろうか。結局は、番組の枠を埋めるために同じような情報を何度も繰り返したり、より刺激的なあるいは他局では撮影していないような絵を出すことが目的になっているように感じます。つまり、放送することが主目的になっていて、そこで何が必要でどうしたらよいのかという「報道」にはなっていないと言うこと。特に今の地デジ、あるいはBSデジタルなら、データ通信やマルチ画面などで必要な情報を随時提供出来るわけです。台風情報なんかそうやってますよね。オリンピックなんかのように、非常時にはメディアコンソーシアムが自動的に組織されて、映像に関してはそれで一元化するとか、そういうルールが必要じゃ無いかと今回も強く感じましたね。

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