PCWatch、山田祥平氏のコラムから、Walkmanが創造した「音楽を持ち出す・装う」という文化について。iPodは、確かに革新的なデバイスだと思うけれど、その根幹部分は1979年に誕生したSONYのWalkmanから変わってないんですよね。コラムにも書かれているように、最初のWalkmanにはヘッドセットのジャックが2つあり、二人同時に音楽を聴くことが出来ました。で、想定しているシーンは、恋人同士が二人で音楽を共有するという事なんだろうけど、当時浪人中だった私は、むさ苦しい浪人仲間と二人で聞いていたりして(笑)。
このWalkmanは、1つの文化・ライフスタイルを「創造した」という意味で、エンジニアとして自分の原点の1つ。「常に音楽と共に生活したい」という、当時の大賀さんとか盛田さんのシンプルな想いから生まれた製品だけに、ライフスタイルになりうる製品にもなったんでしょうね。
携帯電話も、そう言う意味ではそれに近いものがあると思うけれど、何が足りないのだろうか。個人的に感じるのは、Walkmanは「個」の世界を作り出したけれど、携帯(や、その他のネットデバイス」は「集」という事を前提にしているところに、参加者の躊躇が生まれるのでは無いかと言うこと。プライバシー、個人の嗜好、気の合う仲間となら良いけれど、みたいな、集団で何か創造するには、どうしても色々な制限が生まれるけれど、個人を対象にしたWalkmanではそれが無く、100人いれば100通り以上の使い方が生まれて、それが「ライフスタイルの創造」に綱がったんじないかと思うわけです。
そうなると集団を対象にしたライフスタイルの創造は無理なのかと言うことになるけれど、無理では無いけれど難しいでしょうね。Facebookにしても、LINEにしても、今はある意味ブームになっているけれど、そのうちに別の情報共有ツールが誕生してくる気がするし。逆に、今はしばしば問題になるけれど、全てオープンにするという意識が全員に広がれば、そう言うライフスタイル誕生に繋がるかもしれませんね。そうなると、今のネットワーク時代にとっては黄金期の誕生になるかも。クラウド前提の、ね。で、そんな時代になっても、多分Walkmanという音楽視聴スタイルは、手元のシリコンデバイスがクラウドストレージになるだけで変わらないんでしょうね。だからこそ、Walkmanの誕生は偉大なんだと再認識するわけです。
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