大飯原発が再稼働するまで、地元と言ってよい関西広域連合の知事会の態度は、個人的には無責任な事なかれ主義に映っていたんですが、そんな中で少なくとも和歌山県知事の仁坂吉伸氏のこのメッセージは重要ですね。つまり、彼らとしては、必要なアクションを取っていたし、ちゃんと冷静に判断した結果、再稼働を認めたという事なんですよね。となると、滋賀県知事が「脅された」なんて言うことを言っているのは、単なる世間体のために責任逃れのために言っただけ、ということ。仮に某かの理由で脅されたにしても、まずはそれと戦い自分の信念を曲げないのがリーダーじゃ無いのか? それで、仮に最終的には自分の信念を曲げる事になったとして、そうなった理由を正直に述べれば良いだけで、それも無く相手のせいにだけするのは、自分は何もしませんでしたと言っているに等しい気がする。
仁坂知事の言葉の中で、至言だなと思うのが、
『「何とか運動家」という方々がいます。大体は立派な主張をしておられるのですが、その多くの方々は、その主張が仮に実現した時に起こる事態について、発言をすることはあまりありません。そういう事態への対処は行政の責任だから何とかせいと思っているのか、単にそういう事態が起こる事を考えていないか、又は起こらないと信じているのか、私は知りません。』
という部分。そして、続く段落で、少なくとも政治・行政のトップは、そういう事態も含めて対応する責任があると述べていること。そして、続く段落では、自らの経験も含めて原子力行政の問題点を挙げ、そして冷静に今回の判断に至った根拠を説明されています。
一応理系のエンジニアなので技術的な論文とか資料等をよく読むんですが、そう言う系統の資料は、論理的な内容が多いのだけれど、それでも結構ロジックの破綻や綻びがあったり、理路整然とは言えない文章が多いもの。でも、このメッセージは非の付け所が無いと言ってよい位、理路整然とした文章。逆に、ちゃんとこういう理解をしている人がいるのに、なんで滋賀県千々とか橋下市長みたいなエキセントリックな意見が、決定後も出てくるのか不思議。勘ぐれば、自らの保身と言うか責任回避と思われても仕方ない。
「リーダー」と聞くと、どうしても先頭に立って目立つ存在、何か大きな事をやる存在と言う意識が生まれてしまうけれど、「出来るリーダー」っていうのは自分では無く、人に何か仕事を完成させる事が上手い人だと思います。組織を有機的に使うと言うか、勿論自分も人一倍努力するわけですが、それで自分一人が頑張るんでは無く、組織力を上手く引き出して全体が目標達成するような「流れ」を作るのがリーダーシップなんだろうな、と。そう言う意味で、仁坂知事の過去のメッセージを読んでも、リーダーシップが溢れている気がします。こういう人にはもっと、地元は勿論広域な政治でも頑張って欲しいなと思いますね。
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