2011年9月29日

日本で作る意味

NEC米沢事業所のルポ記事。パソコンに限らず、人件費の高い日本で製造業を続けるには、ジャストインタイムで在庫を極力減らしてコスト削減し、さらにはセル方式で多品種少量生産対応と高品質製造を両立することが、どの業種でもマストみたいな感じですよね。10年前位までなら、まだ高品質・高価格商品は日本で、廉価製品・低コスト製品は中国で、という棲み分けがあったけれど、最近では中国での品質も上がってきているし、人件費はかなりアップしてきているけれど、それでも日本と比べたらまだまだ安いのと、物量作戦でとにかく人の投入は出来ますからね。でも、昔だと上海とか天津とか、大都市近郊でも安い人材が集まったけれど、最近ではかなり内陸部に入らないとどうしようもなくなってきたというか、それすらも厳しくなってきたと聞きますから、中国で安く製造してという話もだんだん難しくなってきたように感じます。その分、枯れられも高付加価値製品にシフトして利益を上げたいだろうから、となる途端に作業者としてのリソースだけでなく高学歴高技術力を持った人材が今度はどんどん登場してきて、ますます日本を脅かす存在になるかも。まぁ、日本の存在意義を考えると、そうなる前にさらに何ステップも高いレベルの製品をその時までに物にしていくという、競争に勝ち抜く気概が無いと困るんだけど。

携帯電話や家電製品でよく言われる、日本の製品は過剰品質・過剰機能と言われて、だからそこそこの機能で安い韓国製品や中国製品に今は駆逐されているという話を聞きます。それはそれで正しい部分もあると思うけれど、最近の中国での列車事故等に見るような、「初めに製品ありき」というモードになってしまったら、やっぱり拙いと思うんですよね。高品質にはそれなりのコストが必要だし、過剰機能と言われてもやっぱり必要な機能は残して欲しいし、それはユーザーの我が儘にどれだけおつきあいしていくかという、企業努力でもあると思うんです。そういう部分は日本製品の「拘り」として、これからも残して欲しいなぁ。ある意味海外から"HEN-TAI"と言われるくらいの熱意と努力で(笑)。

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