短いけれど、良質な記事と感じた今朝の朝日新聞の記事。この被災地体験訪問だけでなく、「生きる」上で実体験に優る情報は無いですよね。自分も含めて、今ではインターネット経由で必要な情報は殆ど入手できるけれど、でもだからといってそれで全てが理解出来るわけではない。昔の人はちゃんと分かっていて「百聞は一見にしかず」という諺があるけれど、どんなにネットワークが発達しようとも、仮にスタートレックのホロデッキが実現しようとも、現実の体験に優るものは無いかも。いゃ、スタトレレベルのホロデッキなら、かなり実体験に近いから分からないか(をぃ)。
この「実体験」という事をちょっと捻ると、自分の仕事にも関わってきたりもします。昔は、一応エンジニアの端くれとして、実際にコードも書いたし、簡単な回路設計とかシステムの組み立てみたいな事もやっていたけれど、仕事の種類やポジションが変わるにつれて、そういう部分はどんどん部下とか外部委託のような形になり、結局今残っているのはPM(Project Management)的な、総合監督みたいな仕事内容。それはそれで大切な仕事ではあるとは思うけれど、それによって生み出されていくものが実際の製品である以上、その製品に触れないで、でもその製品を「作っている」というのは変な感覚です。インターネット経由で情報を集めて、その場所には言ったことはないけれど、その場所の事は隅々まで知っている、というような感覚。
でもね、幾らネットで調べて、有名店のリストとかお勧めのお土産とか、壮大な光景の写真を知っていても、やっぱり現地に行ってその場所で体験することには叶わない。良い意味でも、悪い意味でも、現実に叶うものは無し。もちろん、今更コーディングしたり、回路設計したりなんかしたら、もう迷惑にしかならなくて顰蹙買うしかないけれど、でもそういう感覚を得ること、得ようとすることは大切ですよね。何でもかんでも見せればよい、体験すればよいとは思わないけれど、この記事の場合、保護者も被災地を見せる事の是非で悩むし、実際に現地に行った子供達もその惨状に悩むし、「悩む」ということが次に選択する道筋への切っ掛けになるわけだから、どちらにとってもそれは良いこと何じゃないだろうか。悩むことなく、何でもかんでも上手くいってくれることは、希望であり理想ではあるけれど、でも後で振り返ってみると、何も記憶に残っていなさそう。
丁度お盆の期間の今、普段なら帰省して家族や親類が集まり、久しぶりに会う人も多くて、その一年なり新年からの半年なりの事を振り返り、あるいは無くなった人の思い出を語り合ったりする時期なんですが、そういう思い返し、振り返りをする中に、今年はもう一ついろいろな思いが加わりそうです。
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