2011年8月23日

共食いキャラ

ITmediaの記事から、日本の食文化の特徴(?)でもある「共食いキャラ」について。我々が一番馴染みがあるのは、とんかつ屋さんの看板によくある、とんかつを美味しく食べようとしている豚さんの絵ですかね。例えば、アメリカでステーキ屋さんに行っても、ステーキを食べている牛の絵なんてこれまで見たことがありません。せいぜいが、使っている牛のシルエットとかが使われている程度。

以前、日本のアニメをアメリカに売り込もうと言う事で、日本の代表的なアニメをアメリカで試写会をする様子の番組があったんですが、その中で予想外に評判が悪かったのが「アンパンマン」。その理由が、アンパンマンが自分の顔を食べるシーンが、カニバリズムを思われると言う事。多分、日本のような擬人化されたキャラクターがそのキャラクターから出来ている食品を食べるというのも、同じような事をイメージさせるのかも。

個人的に思うのは、日本の場合昔からこういう擬人化って得意というか好きでしたよね。日本最古の漫画とも言われる「鳥獣戯画」にも、いろいろなキャラクターが登場しているけれど、あれって動物が人間の真似をしている様子ではなく、動物に似ている(類似点が見える)人間を描いているんじゃないかと思うんですよね。よく「あの人は猫に似ている」とか「猿に似ている」とか言うのと同じ感覚で。だから、とんかつを食べる豚キャラクターも、美味しいものを食べてでっぷりした人が食べている、という認識が何となく日本人には刷り込まれているのかも。

もう一つの理由は、やはり宗教的な影響が大きいのではないでしょうかね。キリスト教世界では、動物が人間のように食事をすると言うのはあり得ない発想ですが、日本のように多神教「八百万の神様」がいる世界観(宗教観)では、動物や植物であっても神であるし、無機物すら神になり得るわけで、それなら神様よりも下の存在である「庶民」と認識されても、あまり不思議は無いと思うし。日本ではお刺身を筆頭に、生卵とか、生食は普通ですが、アメリカなんかだと今でも生理的に受け付けない人は沢山います。調理方法や調味料が未熟だったこともあると思うけれど、日本の場合八百万の神様がやることを人間が真似した・抵抗がない、とも言えるような気がします。一方で、キリスト教的世界観では、動物と同じ事は人間がやるべきではないと言う考えがあるだろうから、どうしても共食いキャラ的な発想は生まれないだろうし。

まぁ、あくまで素人の勝手な発想ですけど、確かに自分も以前、海外出張で日本に来ている人を週末とか都内を案内して、この手の看板を見て説明に悩んだことがありますが、確かに言われてみれば「へん」と今では感じますね。

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