2011年5月23日

水掛け論

福島第一原発1号機への海水注入を巡って、「言った」「言わない」の水掛け論が発生。プロジェクトの世界に当てはめると、お客様に進捗状況を提出したところ、技術担当者が「いゃ、私が言ったのはそういう意味じゃない」とクレームが付き、慌てて訂正した、みたいな感じでしょうか。こういう時のお約束として、当事者の意見が100%採用されることはまずなくて、交通事故の責任配分動揺20:80とか30:70とか、そういう「配慮」は必ず入るから、今回の「0ではない」というのも、その辺りの落としどころのように感じます。

報道を見ていると、誰が最初の注水を命じたのか、それを止めたのか、という点に注目されているけれど、実は重要な事はそういう個々のイベントの是非ではなく、緊急時に機能していなければならない、組織やチームがその時に本来必要な事を実行していたのか、と言うことだと思います。そういう意味では、発表内容が二転三転したり、一番驚くのは当時の記録(議事録)が無いと言うこと。それって、三々五々集まって無駄口しているのと同じじゃないですか。全ての会話を記録する必要はないけれど、テーマは何でどんな問題や課題があって、それに対してのアクションや対策をいつまでにどうするのかという、アウトプットが無いような集まりは無意味。

燃料棒の溶融とか、不安定な冷却システムとか、確かに緊急に解決しないといけない問題は日々改善されながらも日々新しく発生しているわけで、そういった問題全体を俯瞰して把握して指示すべきトータルシステムが無い事が、一番の問題ですよね。あれもこれもと後付けパッチワークのように肥大化している今のシステムでは、解決できることも手遅れになりそうだなと言うのが正直な感想です。

0 件のコメント:

コメントを投稿