2011年3月28日

被災地の未来

今回の被災地の様子を伝える映像を見ると、地震による倒壊よりも津波により何もかもが流されて更地になってしまった状況が殆どです。阪神大震災の時にも、まず悲惨な状況が沢山画面を通して飛び込んできたわけですが、阪神の時とは違ってどうしても大きな絶望感みたいなものを未だに感じます。その理由はなんだろうとここの所思っていたのですが、阪神大震災の時の状況、例えば高速道路の橋脚が折れて横倒しになった画は印象的な物の一つだと思うんですが、あの状況は確かに悲惨な状態ではあるけれど、「よし、この高速道路を元のように立て直す」という次の行動に対しての目標みたいなことも感じられたんですよね。

ところが、今回の津波のように何もかも流されてしまって、残っているのは真っ新な土地ばかりとなると、まずそこに何を戻せばいいのか、何を作ればいいのか、その手がかりと言うかとっかかりすら感じられなくて、それが阪神の時とは違う絶望感みたいな印象を受ける理由なのかもしれません。勿論、そこには家々があり工場があり学校がありと、日々の生活があったわけだけど、そういう痕跡すら感じられない状況が、なかなか直ぐに立ち上がる気力を得られない原因ではないかと。

多くの人は元の生活をいち早く取り戻したいと言う気持ちだとは思うけれど、仮に元の街並が戻っても、そこで生活していた人達のうち、多い場合は半分近くがいなくなってしまった場合、「街」としての機能は戻ってこないかもしれない。場合によっては、点在している被災地の住民がある程度集合して、それなりの規模の集団に再編成して、そこで新しい街作りを考えないといけないかもしれませんね。その場合に、どう言う産業なり事業が支えになるのか。多分、水産物を中心とした産業システムを再構築するしか無いのだろうけど、港湾の整備や加工設備などを大規模化するなどして、効率化をし、さらに街並を作るときに緩衝地帯のような場所を準備して、同じような災害が再び発生しても避難場所が確保できるようなデザインが必要でしょうね。

それをそのまま適用する事は出来ないかもしれないけれど、そういう効率化みたいなアイデアが成功すれば、それを全国の地方都市に展開して、過疎化や人口減少対策にも役立つかもしれない。失った物は戻らないけれど、そこから何か新しい物を作り上げるのであれば、無くしたものよりももっと価値のある物、未来のある物を作りたいですし。阪神のように、復興するためのシンボルともいうべき対象を見つけることは難しいけれど、それを逆手に取ってこれまでとは違う街作りを目指して欲しいなと思います。

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