2010年11月10日

国家機密と危機管理

尖閣諸島のビデオが、いつの間にか「国家機密」になっていて、その流出経路捜査が本格化しているけれど、いつから海保撮影ビデオが「国家機密」になったんだろう。元々、那覇地検独自の判断で容疑者を釈放しているわけで、そこには「国からの指示は無い」と言っていたわけだから、その案件の資料が国家機密というのはちょっとへん。その後の中国との対立から国家機密になったのであれば、では何故そういう重要な情報を国として管理していなかったのか、その管理責任が問われると思うんだけどそういう認識はあるんだろうか。

捜査資料という意味であれば、「非公開情報」として扱いのは当然で、それが管理者の意図に反して公開されたことは問題だと思うものの、いつの間にかそれをエスカレートして「国家機密論争」にしていることにちょっと(かなり?)うさんくささを感じますね。本来は自分たちの管理能力の欠如が問題にされないといけないのに、いつの間にか末端の責任になっているように聞こえるし。この辺り「仕分け作業」と同じで、自分たちは格好の良いところだけつまんで、本来の仕事は丸投げしているようにも見えます。実際には丸投げしようが指示だけ出すだけだろうが、その仕事の責任者・発注者であれば結果責任は全て負わないといけない。仮に発注先で何か問題があったとしても、それはそれを発注した側の管理責任というのが、少なくともビジネスの世界でのお約束。政治だから、国家規模の話だから、其処は違うと言うことはないと思うんですけどね。「仕分け事業」の「再仕分け」なんて、テレビ番組の平日夕方に穴埋めのためにやっている昔の番組の再放送みたいな力の抜けた話です。

機密管理と言うことには、二つ重要な要素があると思うんですよ。一つはその情報を管理する物理的なシステム。例えば暗号化するとか、アクセス管理をするとか、そういう仕組み。もう一つは、アクセス出来る人間が持つべき機密管理の意識。一般のビジネスでも、理不尽な契約条項とか有るわけで、そういう条件も不満はありながらも受け入れて自分たちのビジネス拡大につなげないといけないことは多々あります。そういう条件・状態でも不満を押しとどめて自分を律することが出来る機密管理意識の高さが今の政府も含めてちゃんとあるのか、その点に今回凄く疑問を感じました。勿論、国家機密でなく「部外秘」の情報レベルであった海上保安庁での情報の扱いにも問題があると思います。今回流出したビデオは研修目的で編集された可能性がある、とのことだけで、作成日時を見るとまだ事件の結論も出ていない頃であり、その時点で証拠であるビデオを他の目的のために利用するというのはどうだろう。少なくとも事件の結論が出たところで、その状況に応じて次の目的のために利用出来るなら使うべきであり、その点は問題じゃないかと思います。

そういう意味で、今回の問題は「国家機密が流出」した事ではなく、「危機管理が出来ていないこと」だと思うんですけどね。それがいつの間にかすり替わっていることに疑問を感じますね。

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