「かな入力派」としては100%同意する、産経新聞掲載のコラム。ただ、あえてコメントすると、確かにタッチ数(キー入力回数)は、ローマ字入力よりも少ないことはメリットだと思うけれど、もっと根本的な「文字を書く(=入力する)」という動作を考えれば、ローマ字(アルファベット)を組み合わせて「ひらがな」を生成し、そこからかな漢字交じり文章に変換するという二度手間が思考活動を邪魔するという事の方が問題だと思う。頭の中で何か考える時って、基本的に「かな文字が流れていく」状態じゃないかと思うんです。会話するときに聞こえてくる「言葉」には感じはなくて、発音(=ひらがな)だけが伝わってくるわけで、それを聞いた人間が適当に感じに変換しながら「認識」するわけですよね。頭の中でも、それと同じ事が起こっているはずで、その「発音」に当たる部分をわざわざローマ字に分解する必要は無いんじゃないかと。大体、小学校から英語教育を必須に使用かと言っているときに、なんでローマ字を意識しないといけないのか、それが疑問。
自分は、それこそパソコン以前のコンピュータ創世記(というと語弊があるけれど)いゃ初期の頃からつきあっているから、当時のシステムやハードウェアの限界から、いかに苦労して日本語のコードを乗せてきたのかも知っているので、決してローマ字入力自体は否定しないけれど、でも車だってマニュアル車からオートマ車に変化し、さらに今度は自動運転・自動制御の世界が開けようとしているように、パソコンだってそろそろ古い川を脱いで脱皮が必要かも。
一つのきっかけ利になりそうかなと思っているのが、携帯電話やタブレットのような携帯デバイスでの日本語入力が今後盛んになると、今のQWERTYキーボードも消えていくんじゃないかということ。アルファベット26文字より、かな48文字の方が多くて大変と思われがちだけど、携帯なんかのように50音順で先頭だけ拾えば10個(種類)ですからね。要するに、見た目のキー数は減らすことは可能だと言うこと。だから、あえてアルファベットにこだわる必要もないと思う。ただ、日本語の場合アルファベットや数字、さらには絵文字じゃないけれど英語嬰記号よく使うから、そのあたりの処理は考えないといけないけれど。
手書きの手紙に対して、パソコンで印刷した手紙を見ると、「暖かみがない」「機械的」「冷たい感じがする」とよく言われたものですが、同じようにアルファベットを入力して表示される「ひらがな」は、直接「ひらがな」を入力する時よりも感情がこもらない気がするのは、自分だけだろうか。
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