2010年6月4日

リーダーシップとは

ここ数日の首相退陣騒ぎや、それまでの自民党系首相の交代劇なんかの話を見聞きして、その度に「リーダーシップが...」という話が出てくるわけですけど、どうも一般の人がインタビューで応えているときに口にする「リーダーシップ」って、実は「カリスマ性」を期待してるんじゃないかと感じます。別の言い方をすると、一般的に望まれているのは、急成長中のベンチャー企業の創業者社長みたいなタイプなんじゃないかと。勿論、ちゃんと業績をアップさせ、信頼もされ、人気もあり、その人なりの人物像も正直で正義感溢れ、と言う点では、リーダーシップと言っても良いんだろうけど、でもそういう勢いのある場所でのリーダーというのは、往々にしてその人のビジネス的マネージメント的資質よりは、その人の持つキャラクターというか雰囲気に引かれる場合が多いんじゃないでしょうか。逆にそういうものがないと、例えビジネス的に成功している人でも社会的評価って今一つの印象があります。

今回のような政治、あるいはビジネスの場合だと、本当に望まれるリーダーは必要なときに的確な判断決定を出してそれを実行できる人で、そのためには厳しい条件でのネゴシエーションとか、取引先・関連先との関係確保や醸造なんていう、表には出てこない地味な仕事が殆どだと思うんですよね。その結果として、大きなビジネスをものにしたり何か凄い発明が出来たりすれば社会手評価も一気にアップして注目もされると思うんだけど、少なくともビジネスやプロジェクトの世界で言えば、そういう逆転満塁サヨナラホームランなんていう場面は必要なくて、ちゃんと毎回ランナーをだしながらも無得点で押さえて完投する投手や、ホームランやヒットは打てなくても、必要な的に内野安打でもポテンヒットでも打てる、あるいは犠打や犠飛を確実に出来る、イチローみたいな選手こそ望まれているると思います。

そういう意味では、小泉さんはリーダーシップがあるように見えるけど、実は周りのスタッフが有能で何とか政治が回っていただけで、本人には得意のワンフレーズメッセージという「カリスマ性」で人気があっただけでは。逆に、その後の首相達は、カリスマ性は無かったものの、それなりにリーダーシップは発揮していたものの、小泉さんのカリスマ性と比べて地味なために常に低く評価されている(とも言えない人もいるかもしれないが-笑)と言うようなこともあるかも。まぁ、今回の鳩山さんの場合は完全に物事の優先順位を間違っていたと思うし、多分理系的なプライドの高さなのか、間違いを認めて頭を下げることをもっと早くやれば、普天間のことだってお金の話だって、ここまでこじれて修復不能にはならなかったんじゃないかと。

20年から15年位前でしょうか、「プロフェッショナル論」みたいな話が会社の中でブームになり、何も得意技のないエンジニアになるなとか、専門領域を極めようみたいな話が出てきて、研修とかでもそんな話ばかりだったけれど、そういう専門性も必要だとは思うけれど、そういった専門家を束ねる、あるいは大局的に全体を常に見て調整する、そんなジェネラリストというか調停者みたいな役割が、今の世の中で不足してるんじゃないかという気がしています。PM(Project Management)の中でも、上位のシニアPMとかエグゼクティブPMとかだと、そういう役割なんだろうけれど、PMはPMでちょっとタスク管理に特化していて、それはそれで専門性が高い気がするんですよね。それよりも、さらに一般的な事柄も含めて面倒見ることが出来るような人が、本当の意味で「リーダーシップ」のある人、と言えるんじゃないかと最近感じます。だからリーダーシップって、周りの人が見て引かれるんじゃなくて、実は知らないうちに後ろからそっと押してくれているような、そんな存在なんじゃないかと。完全に黒子であっても困るので、それなりにvisibilityも必要なんだけど。そういう意味では、やはり小泉さんという存在は、その結果に賛否はあるだろうけれど、リーダーとして記憶にも記録にも残る人なんだろうなと思います。

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