2010年1月27日

会議の内職

国会でのTwitter使用に関して、いろいろ話題になってますけど、私が感じるのは仕事で偉い人も含めたミーティングをしている時と同じということ。最近では、ほぼ全員がノートブックPCを持ち込みミーティングするわけですけど、話を聞きながらメールチェックしたりIMで他の人からの問い合わせに回答したりという光景。スケジュールが厳しいから、どうしても問い合わせや確認が来るのは仕方ないとは思うけれど、あれって折角スケジュールを調整してミーティング招集した担当者にしてみると「あーあ」という感じですよね。以前冗談で、「ミーティングルームなんかに集まらなくて、各自IMのウィンドーを三つでも四つでも開いて、そこから参加すればいいじゃん」と言ったことがあるけれど、ほんとそう思いますね。折角一生懸命説明しても、「もう一度説明してくれる」とか「(以前説明しているのに)それ、初めて聞いた」とか、もう膝かっくんを通り越してちゃぶ台返ししたくなるくらい。

今回の場合、国会の様子がリアルタイムで分ったから良かったという意見もあったけれど、個人的にはTwitter何かじゃなくて、様子をライブで配信すれば良いだけの話だと思うんですよね。固定カメラで良いから、前後とか何カ所に配置して、それをインターネットにそのまま流せば良いだけ。同じ場面を見ていても、与党・野党では意見は違うだろうし、個人によっても考えは違うだろうし、それを「ライブ」と言ってしかも限られた文字数で配信する事は、ちょっと違うんじゃないかと思いますね。Twitterだけじゃなくて、携帯は勿論、先日首相が扇子に何か書いていたけれど、そう言う内職は一切禁止すべきだよな、国会なんだから。

結局、本来は議論の場であるはずの議会や委員会で、議論以外の事をしている余裕があるなら、その人ってその場に不要ということなんじゃないでしょうか。仕事のミーティングにも、何でこの人がここにいるのという場合があるけれど、それで黙っているだけならまだ害はないけれど、偶に余計なことを言い出したり、とんちんかんなことを言い出したりすることもあるし。今後デバイスが進歩して、本当に頭の中で考えていることがそのままTwitterで流れるなら、それはそれで一つの表現方法と思うけれど、今のように携帯とかPCを通して情報を伝えると言うことは、少なくともその瞬間瞬間ではその人のメインタスクが「議論」から「伝達」に変わっているわけで、それって本来の目的なのと何時も思ってしまう。さらに穿った見方かも知れないけれど、本来ならその場で感じた疑問とか反論あるいは賛成といった意見をちゃんとその場の議論なり会議に乗せなくちゃいけないはずなのに、それを「呟く」事で達成したような免罪符的な気持ちになってるんじゃないかと言うこと。会議中の内職を見つけられて、つい「いゃ今PowerPointを探していただけです」と言い訳するような印象を、私は受けてしまいますね。

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