高市さんの発言で議論になったワークライフバランスの問題。なぜ議論がかみ合わないのかを考えました。/時代はワークライフバランスから裁量権へ | 佐々木俊尚「毎朝の思考」/ Voicy - 音声プラットフォーム https://t.co/7nMZ4YJKB3
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佐々木俊尚氏のVoicyから、ワークライフバランスの議論は、「裁量権」を考える時代になってきたという話。これは自分自身実感している話で、逆の言い方をすれば、「ワークライフバランスを最適化理想化するためには、どれだけ自分に裁量権があるかによって決まる」と思っています。これは、20年以上前から「在宅勤務(月曜日~木曜日/週)」を続けてきた自分の経験からも言える話だと思います。だから佐々木氏のようなフリーランスの方は対応というか順応しやすいし(ただし、自制心は相当必要だと思う)と思う反面、日々のルーティン決まっている様な会社勤めの方は、中々難しい部分はあるかなと思います。その「ルーティン」にフレキシビリティを与えてくれるのが、裁量権なんだと自分の経験からも実感します。
例えば、一般的な9時-17時の勤務体系で、作業場所だけオフィスから自宅に変えたケースは、多分一番ワークライフバランスには馴染まないと思う。そういう勤務形態をするのであれば、例えば10時から15時(12時から13時の昼休みは除く)の4時間は「コアタイム」として、その時間帯は必ず出社してオフィスにいるか、オンラインでリアルタイムに対応出来る状態にしておき、それ以外の時間帯に関しては例えばメールベース、DMベースでの会話とか、オンラインミーティング等もオプショナル参加(可能なら参加する)というレベルにするとか、当人の裁量権も認める方法が、多分最も可能性のある実践方法だと思います。私の場合は、偶然にも在宅勤務を始める前に、その時の職位の関係から「裁量労働制」の選択が可能になっていました。そこで裁量労働制を選択していたので、所謂「就業時間」というものが無くなっていたことも、その後の在宅勤務時代に入る動機にもなったし、何だかんだで20年以上も首にならずに務めることが出来た最大の理由だと思っています。
但し、この仕組みを維持するためには「結果で示す」覚悟が必要だとも思っています。オフィスワークならば、失礼な言い方をすれば会社に出ていれば「仕事をしている一つの結果」となるわけです。更に、内容はどうあれ毎日何時間も残業とかしていれば「忙しそうで大変だな」という評価をしてくれるかもしれない。でも、裁量労働の場合は、会社に来なくても良いけれど、最終的に与えられ仕事や目標は必ず達成しないと評価されないわけで、言ってみればこれまでの仕事はアナログ的な評価だったのが、裁量労働の場合は「0か100」かのデジタル的な評価になるということ。「それって、逆に仕事に追われる毎日になるんじゃないか」とも感じるんですが、その前提となる「結果(=ゴール)」を予め設定するときに、必要十分以上のゴール設定をして、それに向けて自分の都合の良いやり方予定で仕事と生活を最適化していかなきゃいけない。だから、かなり自分に対して律する事が重要になるし、ある意味仕事をどの様に達成するかをベースラインに、自分の日々の生活を無理なく配置する位の考えがないと厳しい気がします。私の場合は、仕事の90%位がアメリカ側の担当者とのやりとりだったので、日本の昼間は暇だったけれど、アメリカ側の一日が終わる日本の早朝には必ずメールや連絡をして必要な対応をしていたし、夜は夜でだいたい夕食後は向こうの相手と電話会議とかメールのやり取りをしていました。場合によっては、その時に相手に捕まってずっと会話ややり取りが続いて、気がついたら日付が変わることも結構有ったりしました。それってワークライフバランス崩れてるんじゃ無いのかと言われるかもしれないけれど、結果的に他の部分とのバランスを考えると、自分的には一番楽だし効率的だったわけで、どの様に生活を更生していくか、その部分は難しいのかなと今でも思います。
会社としての評価は、最終的な「結果」で下されるわけです。また当時はそういう勤務形態は社内でも多分唯一くらいに近いケースだったこともあり、自分のせいでこの制度が無くなったら後輩に申し訳ないという気持ちもあって、最初の頃はかなり緊張もしていたしバランス的には「仕事」に結構振っていたと思います。ただ、自分の性格に合ったのかそれなりに評価されて勤務形態に慣れてくると、もうこれ以外の勤務形態は考えられなくなっていったから、まぁそう言う「慣れ」も必要でしょうね。そのためには裁量権は大前提だし、それを前提にどれだけ自分で自分に厳しく評価出来るかという文字通り「自律精神」みたいなものが重要だと思います。「ワークライフバランス」というと、仕事とプライベートの割合だとか度合いをどの様に塩梅するかみたいな話になりがちだと思いますが、自分の経験から思うのは、どれだけ仕事を日常生活の一コマというか、仕事とプライベートの境界線がある意味曖昧になるのかではないかと思います。境界線が無くなるくらいまでになると「ワークライフバランス」という考え自体が希薄になって、普通に生活して一日が終わるという事の繰り返しになると思います。そう言う意味で、高市さんはこれまでの議員や閣僚というポジションから更に次のポジションに移り仕事は大変で厳しくなるけれど、自分が目標とする政策実現をすること自体が、自分の喜びというか達成感に繋がることで、ワークライフバランスとしてはよりバランスが取れた生活が始まるのかもしれない。ただし、あれだけのポジションになってしまうと、自分以外の要素によって決まることが殆どかもしれないから、裁量権が生まれる範囲は極々僅かだろうなぁ。その中で調整しなければいけないから、厳しさはこれまで以上ではあると思います。その時には「ワークライフ」の「ライフ」を優先することも考えてほしいですよね。
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