レシピを覚えるよりも名もなき料理を作れるようになるほうが人生楽。/「名もなき料理」という料理本があったっていいじゃないか | 佐々木俊尚「毎朝の思考」/ Voicy - 音声プラットフォーム https://t.co/w5N3hid6fa
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) March 9, 2025
自身も毎日家族の食事の準備をしている佐々木俊尚氏の提案「名も無き料理」作り。かなりざっくりとまとめると、レシピに拘るのではなく、基本的な部分を押さえたら後は自分の好みでアレンジすれば、と言う事なのかな。Voicyの中では「何でもペペロンチーノ化」が説明されていたけれど、私は和食中心で調理するときに頭にあるのは「同割り」を基本にすること。「酒:味醂:醤油=1:1:1」というベースを作って、そこに甘みが欲しい例えばすき焼きとか煮物なら砂糖を入れるし、炒め物などなら生姜とかニンニクを追加するとか。煮物だと、ベースのだし汁に対して、合わせ調味料入れるけれど、流石に同割りでは濃すぎるので、10:1とか8:1とか加減するんですが、それも何度か津くっみれば自分好みの塩梅は分かってくるもの。
今だと、「めんつゆ」とか「白だし」とか、予め調整してある合わせ調味料も一杯売られているんですが、私はあれを使うと例えばメーカーによっても割合が違うし、さらに同じ商品でも例えばめんつゆだと濃縮度合いが違ったりする物が併売されていて、それで戸惑うことも。結局ああいった商品の中身は、出汁に対して、酒、味醂、醤油、塩、砂糖、と言った基本的な調味料をどういう塩梅で調合しているかに尽きるから、それならば自分好みの合わせ調味料の割合を一つ作って置けば、後は分量に関してはそれを何倍にする何分の一にするだし、味の濃さや傾向は味醂や醤油、塩・砂糖の割合をその時に調整すれば良いだけ。注意するのは、最初は薄味にしておいて、最後に塩気が足りなければ塩を振るし、旨味とか欲しければ醤油と酒を追加するとか、甘味なら味醂を足すとか、そういう最後の微調整で対応すれば、わざわざ何種類もめんつゆを買っておく必要も無い。
それ以外にも基本的な下ごしらえの知識があれば、最後に微調整すれば大体のものは食べられる味付けになるもの。それを何度も繰り返して自分なりの調合(私は、これは料理するときの『リズム』だと思う)を体が覚えたら、後はその時の好みで辛みを入れたり、味噌を入れてみたり、用法にコンソメを入れてみたり、ごま油を入れて韓国風にするとか、オイスターソースを入れたら中華風になるとか、行ってくれば料理の定番というか基本的な手順というか基盤が出来れば、特にレシピを参照しなくても何となく自分好みの美味しい「おかず・料理」になると思う。勿論レシピが不用とか無視するという意味ではなく、最初のその料理を試してみるときには、一度はレシピを参照してその通りに作ってみて、そこで例えば味付けとか煮た具合・焼いた状態とか、言ってみればゴールを確認しておくんですよね。それがないと、途中で自分は何を作っているのか分からなくなってしまい、名前もないけれど味も内容な料理が最後に出来るだけだと思う(笑)。
仕事に関しても、例えばソフトウェアのコーディングなんかもそれに近い気がします。勿論、昔から言われている技法とかお作法とかルールはあるんだけれど、それを守ったからと言って、高機能でバグのないソフトが開発出来るわけではない。やはりある程度自分でコーディングをして、色々失敗したりした経験の蓄積と場数をこなした知識の集積がないと、自分が欲しているソフトになら無いわけで、それはどんなに優秀なソフトウェア開発技法の参考書(=レシピ本)を読んでも駄目なのと同じ。案外料理好きとコーディング好きって、近いものがあるような気がします(自分規準-笑)。
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