今のところ産経新聞だけしか取り上げていない「国際女性デー」に呼応した、女性フェミニスト集団のデモの話。「女は黙れ」と言えば、確実に「女性蔑視」と言われるのに、「男は黙れ」と言っておとがめなしというのも変だし、一番の問題は「男が産めるのは『う○こ』だけ」なるシュプレヒコール。彼らは、生物学的女性だけが可能な「出産」という唯一性を、男性よりも優れている優位である特徴と考えてこういうことを言うのだろうけど、出産の大切さは理解するけれど、そういうものを比較して区別することが「差別」の根源じゃ無いの?
というか、同じ「女性」はずなのに「出産」というものに対しての考え方が、彼女たちは軽薄というかいい加減というか適当というか、ある意味デタラメと言ってもいいように感じますね。まず「産めるのは」というけれど、産道を通して生まれてくる赤子と、直腸から出てくる排泄物は全く別物。それを同一して「産む」というのは、排泄物を子供と同等の存在と思っているのか、子供が排泄物程度のものと思っているのかの度力だと思うけれど、多分揶揄していることを考えると後者の考えなんでしょうね。つまり、彼女たちは男性に対して批判しているつもりで、実は女性に対しても同じ事をしているのに気がついていない。出産が可能な女性に対してだけでなく、何らかの理由から出産できない女性・不妊治療している女性も多いわけで、そういう人達は生物学的に「女性」であっても、男性同様「埋めるのは...」になってしまうわけで、つまり彼女対の主張は全女性に対しての脂にも当たると思うのは私だけ?
最終的に子供を身ごもって、10ヶ月体の中で育み、かなりのリスクを伴いながら出産する女性の存在が出産では中心であることは確かなんだけれど、残念ながら女性だけでは妊娠できない。少なくとも生殖という男性も参加した行為が無ければ、出産も実現しないわけで、仮に何か問題が存在しているならば、その解決策なり妥協点を見つけることが最優先のはずで、対立を煽ることでは何も解決しない。個人的には、だからこういう人達の主張や行動には全く共感は生まれないし、彼女たちの目的は過激な主張を拡販して注目を集めて、自分たちの満足感を増やしているだけだと思う。そういう意味では、泡沫政党の党首とはいえ、国政に参加している政党の党首がそのイベントに参加して主張しているのに、なぜか「取材拒否」するのは政治家として失格なのでは。日頃自分たちは散々相手に対して要求しているのに、いざ自分たちが当事者になると手のひら返しするのも、こういう人達の特徴だと思う。
いろいろな種類の差別や不平等な事柄に対して、何らかの批判をしたり行動することは大切なことだと思うけれど、ネット社会になってちょっとしたことも大きく取り上げられたり、意図せずに拡散・拡大することが増えてくると、本来の目的とは別により注目を集める事が目的じゃないかと邪推してしまう行為も多く見られます。今回の件も、今のところ産経新聞だけ記事にしているけれど、それもその内容よりもネットで問題になっているということもあってのことで、これがネット黎明期やそれ以前の時代だったら「その他大勢」みたいな認識で記事どころか噂にもならないでしょうね。そういう意味では、産経新聞以外のメディアは昔の認識なのかもしれないし、でも朝日新聞や毎日新聞あたりは「余計なことをやりやがって」と地団駄を踏んでいるかもしれない。 今はネットの時代で情報が瞬時にいろいろな形で共有される時代。それは、多数の人に情報が浸透すると同時に、多種多様な批評や批判も生まれるということ。それによって、どんどん淘汰される情報がある一方、また新しく生まれてくる情報もあり、それが新陳代謝を進めているのが、今のネット社会だと思うんですよね。そういう意味で、今回の行動には1mmも賛成できないけれど、それによってこういう「差別批判が差別を助長する」ような事がどんどん淘汰されるきっかけになれば良いと思う。
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