2025年2月4日

無駄を省いて余裕がなくなる

佐々木俊尚氏の引用から、無駄を省きすぎると、冗長性も無くなり二進も三進もいかなくなるという話。私も、過去ここに似たような話を何度か書いていますが、一見無駄な時間・作業に見えても、実はそれが後工程で必要な準備をするものだったり、後工程では見つかりにくい問題を未然に防ぐための対策だったりということは、長く物作りとか開発とかの仕事をしていると経験しているもの。

私は、いわゆる「バブル期」の最後の1980年代最後の数年を社会人として経験しているので、あの頃の「余裕っぷり」はよく覚えていますが、それよりも先輩社員にやると、その当時はすでに「いろいろ制限が増えていて、昔はもっとよかった」という位なので、1970年代のバブル最盛期はもっとすごかったんでしょうね。それだけが理由だとは思わないけれど、当時は無駄も多かったけれど、そこから生まれたいろいろなアイデアや工夫も多くて、今にして思うとSpaceXが何度も失敗をしているけれど、その繰り返しから画期的な技術を生み出していることが、まさに当時の「ビジネスモデル」というか「開発スタイル」と行ってもよいかも。

例えば、「無駄を省く」ということで、いの一番に海外出張が大きく制限されて、当時はまだ国際電話での電話会議しかなかったから、そちらにどんどんシフトしていきました。自分たちの世代は何度か出張して相手の顔も人柄も様子も知っているから、電話で話をしていても通じるのだけれど、出張経験が無い若い世代すれば、顔も知らない外国人といきなり話をさせられて仕事をさせられるというのは、かなりのストレスだったんじゃ無いだろうか。当時は、スリム化とか無駄排除みたいなことも平行して進んでいたから、すごくビジネスライクになり、仕事にしても「あ、うん」の呼吸みたいなものも無くなってしまい、ミスの数も増えていき、そうなると「なぜそのミスが発生したのか」という反省会大会が毎回行われて、確認と訂正のプロセスがどんどん追加されていき、結局は以前の開発工程よりも手数も時間もかかるような状態に。で、負担も増えて工程が増えてもスケジュールはどんどん短くなるから、ますます余裕がなくなりミスも増えて、みたいな「負のループ」に陥った気がします。

さすがにそういう状況になると無理があることは認識されて、少しは余裕を含ませることも検討されたけれど、ちょうど当時は外部委託でコストを下げるみたいなことが進められていた時代でもあったので、今度は自分たちのコントロールが完全には及ばない外部委託先のトラブルで四苦八苦する時代が続き、本当に暗黒時代と言ってもいいくらい。結局、外部委託先を教育して、品質管理だとか工程管理みたいなことを何年もかけて教育したりしたけれど、それがよかったのかどうか。一見無駄に見えて、実は別の人から見るとそれは次の作業のための準備だったりするわけで、なかなか一律に効率化すればよいというもでも無い。 逆に最近は技術革新でいろいろなツールとか利用できるので、そういうものを導入して効率化すれば「無駄排除」も可能になるんだけれど、なかなかそういう新しい技術導入には抵抗がある人もいるし、難しいところですよね。「日本の失われた30年間」と言うけれど、それって「無駄を排除して効率化」ということを最優先した結果でもあるような気がします。そう考えると、社会の仕組みがそういう方向に進む故に、いかに自分自身で自分に対して余裕だとか余地を生み出せるかがその人にとって大きな資質になるんじゃ無いだろうか。ちょっとした趣味を見つけるとか、うまく自己との割り振りができるとか、あえて面倒なことを請け負いつつも、本当にリスクのあることには手を出さないとか。考えてみると、自分も年齢を重ねるごとにそういう傾向が出てきているような気がする。

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