2024年10月11日

舞台裏を見せる

最近ちょっと個人的に気になっていることに、CM作成の舞台裏を堂々と見せることがあります。そのCMの商品とか、出演しているタレントさんを取り上げる目的で、CM撮影の合間にインタビューした様子等が流れるのですが、以前は絶対そんなことは無かったはずなのに、最近多いのがその時にCM撮影で使用したグリーンバック/ブルーバックの前でインタピュー撮影して、それをそのまま流すこと。グリーンバック/ブルーバックと言っても、多くの場合は一部は本物の家具とかおいてあり、緑色や青色で処理されている部分、主に背景等をCGで処理して恰も実際にその場所で撮影しているように見せるわけです。

昔はCGや合成技術もまだ未発達だったので、使用するにしてもごく一部だったし、画像的にも明らかにその部分がはめ込み合成されたとか、CG処理されたと分かる程度だったけれど、最近は技術革新も凄くて実物と見分けが付かない。大体、昔はCG利用というのは結構隠されていて、余りも表に出ない技術だったのが、最近では「全編CG作成」みたいな形で、CG利用することを謳い文句にする場合も。日本でも、有名な例では渋谷のスクランブル交差点のシーンは、道路とか一部の設備は、実際の渋谷スクランブル交差点にあわせて、確か埼玉だったと思うけれどセットを作り、そこに回りのビル群や空の部分はCG合成することで、渋谷スクランブル交差点を再現している話有名で、確かその埼玉のセットは観光地みたいになっているはず。それだけCGは身近だし当たり前の時代ではあるんですよね。

考えてみたら、PixelのCMじゃないけれど、最近のカメラ内蔵スマホの売り文句は「加工が出来る」という事。不要な部分を削除するだけでなく、最近のモデルではAIを利用して複数の画像の合成や背景の変更に自由な切り貼りなど、ちょっと前だとそれなりに多機能なアプリとか実行者の技能が必要な処理が、あっと言う間に出来てしまう時代。スマホのカメラだけでなく、プリクラなんかでも、かなりのエフェクトを適用して加工することが以前から当たり前だったけれど、最近ではそれが一周して「無加工」が新鮮と感じられるらしい。その辺価値観が一度一変して、それがまた一変して戻ったと言うことなんだろうけど、何だかなぁ... 私も写真を撮りだしてもう20年、30年たち、フィルム写真機は殆ど経験が無くて、ほぼ90%以上はデジカメユーザーなんですが、それでもやはり撮影した元のデータは一番重要だと思うんですよね。RAW形式で保存すれば、そこから現像することになるので本来の銀塩写真(フィルム写真)と同等の事が出来ますが、データサイズと時間がかかるのが難点。だから99%はJPEGで撮影して、その範囲で加工処理なんかもやっていますが、それでも殆どの場合間に合います。ただその場合でも、出来るだけオリジナルの状態というか情報は残したいと思うので、その鬩ぎ合いが難しい。

閑話休題。ああいうグリーンバック/ブルーバックの撮影風景を堂々と公開して、その後にその後のCG処理された本来のCMとか流れてくるんですが、そのギャップはやはり相当なもの。あれって、かえって本来のCMの価値を損なうと思うのだけれど、それも最近は認識が違うんだろうか。最近ではCGも比較的簡単にできるようになってきたので、昔はそれこそ映画とかテレビ番組でもそれなりにお金が掛けられる大作でしか利用出来なかったけれど、今では殆どの作品で手軽に利用している気がします。それそれで「創造性」という意味では可能性が広がっているんだろうけど、生成AIで個人の「人格」を作る用に、それって確かに本物に似ているけれど同一と言っていいのか、と言う疑問は感じますね。背景とかを合成するくらいなら、昔から書き割りとかもあったから理解出来るけれど、人物の表情とか動作までAIが創作してCGで合成されるとなると、よく言われる「リアルの人間居なくても良いじゃん」という話になりそう。そうなると、逆にああいう舞台裏を見せることで「ほら、登場人物は本物ですよ」というアリバイ工作をしているのだろうか。それも本末転倒な気がする。

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