2024年9月16日

見ると聞くとは大違い

佐々木俊尚氏のVoicyから、ネットだけ見ていると日本社会はとてつもなく酷い社会のように見えるけれど、実際はそうでは無いという話。これ、企業の「お客様相談室」とか「クレーム処理」みたいな経験があると良く分かるけれど、こういう所に連絡がくる時の内容は、多分90%以上は「苦情」「言いがかり」「問題指摘(※実際にはその人の感想や勝手に思い込みが多い)」等等で、「こんな良い事があった」とか「こういう機能を次は入れて欲しい」みたいな、前向きな問合せや連絡は殆ど無い。それと同じ事がネットでも起こっていて、かつネットの特性上直ぐに拡散されて増幅されて更なるハレーションを起こしているのが、今のネットも含めた社会構造だと思う。

何かあったときに、それに対してのクレームをしたいのであれば、その企業なり責任者なりに言えば良いだけで、それを全く関係無いネット空間に発散しても何も解決しない。その人の気持ちは多少は晴れるかもしれないし、偶々その企業や責任者の目に留まり何らかの対策や対応が取られることも有るかもしれないけれど、それは偶然そうなるだけで本来の仕組みでは無い以上は、最初にネットで発散している人の自己満足でしかない。そう言う意味では、 今の世の中は昔よりもそういう不愉快な場面や不愉快な体験に遭遇しやすい環境である事も事実なんでしょうね。

で、やっぱりそう言う事って誰にとっても不愉快だし、出来れば遭遇したくないわけで、そのための最善策は「そういう場所に近づかない」という事に尽きると思う。「じゃぁ、ネットを止めろというのか」と入れるかもしれないけれど、ネットの中でもそう言う話題とか相手とは距離を置くことは出来るし、ネットならばそのまま流せば良いわけですからね。実社会だと、目が合っただけで絡まれることもあり得るけれど、ネットなら自分のTLにそういう書込が表示されてもスクロールすれば終わり。自分にとって必要な環境や条件になるように、ある程度整理整頓しておけば、殆ど不愉快な情報は遠ざかるし、仮に何かの弾みで目に入っても「はいはい、ご苦労様です」と流せば良いだけですからね。実社会でも、そう言う怪しい場所には近づかない、怪しい人とは目線を合わさない関わらないというのが最低限のルールだと思うし。

ただ、そういう判断をしていると、本当に必要な情報を逃したり必要な場面で支援できずに終わってしまい後悔することも可能性としてはあるんですよね。言い方が難しいけれど、そう言うものを100%避けるのではなく、何となく目の片隅に入る程度には認識していて、いつもならばそのまま流して無視するのだけれど、「あっ」と言うときには視線を動かして自分の中心にもってくるような事も必要かもしれない。そのためには、良い経験・悪い経験・不愉快な経験もある程度していないと、その判断基準も定まらないし、切り替えるフットワークというか何をどうするという手段の選択も出来ないだろうし難しいですよね。先の企業の問合せの例では無いけれど、佐々木氏も言われているように悪い事は100倍、1,000倍、10,000倍大きく多く見えるけれど、良い事は逆に1/100、1/1,000、1/10,000にしか見えないし遭遇しないと考えて行動すれば、普通に自分にとって気持ちの良い快適な社会は実は以前か周りに存在していたと気がつくかも。一種の鈍感力というのは重要だと思う。私も若い頃はどちらかと言うと瞬間湯沸かし器系だったし、何かあれば一言言わないと済まない性格だったので、味方もいたけれど敵も多い感じだったけれど、30代後半位からだんだんとそんな自分に疲れてきて、一回何もしないような状態になったら案外それが楽に感じて、以来ある意味冷めた目線なのかもしれないけれど、何かあったらぼーっとするようにしています。それが、時々発作的に行う弾丸トラベルにも繋がるし、とにかく環境を変えてみて何もしないことって、自分にとっては効果的なリフレッシュになっている気がします。

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