2024年5月15日

恣意的「無罪」

今朝のニュースの多くのチャンネルで大きく取り上げられていた、水原一平容疑者の裁判所出頭場面。多くのメディア関係者に囲まれて裁判所に入っていくシーンとともに、見出しやナレーションでは「水原一平容疑者が発出廷をして無罪主張」と「無罪」をメインに伝えるから、「えっ? えっ? えっ?」と驚きとビックリマークが幾つも並んでしまう。司法取引を受け入れたんじゃ無いのか?

その後の説明では、この審理担当判事に重大事件担当権限が無い(なぜ?)ため、いったん形式上無罪主張をして、次回の権限を有する判事の下では有罪を認めるつもりとか。アメリカの司法の仕組みは全く知らないけれど、なんで権限の無い判事を担当させるのか、そこが良く分からない。ただ、水原氏は以前から伝えられているように、多分司法取引をして大きな減刑と引き換えに罪の軽減を勝ち取る方針でしょう。彼の主張としては最初から有罪受入を考えているだろうから、形式上の行為とは言えこの「無罪主張」は本人にとっても心苦しいのかも。

で、メディアはこの形式的な「無罪主張」を、恰も水原氏が自分の罪を認めない発言みたいな言い方で最初に報道するから、人によって受取方が凄く違ってくる、錯誤を誘導する行為だと思う。せめて「水原氏初出廷。形式上いったん無罪主張を」とか、本人の意志なのでは無くその裁判のシステムの都合である事を本来ならば明確に伝えるべきだし、それが何らかの理由で出来ないのであれば、そういう判断が出来る程度の補助情報は一緒に伝えるべき。それをせずに、たんにセンセーショナルな反応を得るために「無罪主張」という部分だけを切り取り報道するのは、やっぱりあの人達は「メディア」ではなく「アジテーター」だと思う。

大体メディアが「無罪主張」と本人が無罪獲得を目指しているような伝え方をするのは、それまで非常に大きな罪を少しでも軽くするために、有罪を認めて司法取引に応じようとしていると伝えてきたことと真反対な請うな訳です。それなのに「無罪」を強く伝えようとしているのは、自らの取材能力の無さ、メディアとしてのスキルの無さを自ら白状している行為になると思うのだけれど。そう言う意味でも、「今回は形式の都合上無罪を主張したが、次回以降は有罪を認めて司法取引を受け入れると推測される」くらいのことを言わないと、これまでの報道の意味が無いのでは。昨日は、シャープが国内液晶製造から撤退というスクープが流れたけれど、その後シャープから否定(訂正)の報道が流れ来たり、どうもメディアの言う事はますます信用してはいけない時代になっている気がする。まぁ、個人的には結構昔からメディアの言うことは「千三つ」と思うくらいが丁度良いと思っていたけれど(マテ)。

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