2024年5月4日

浜松まつり

昨日は、朝から出かける用事があったため、7時過ぎに自宅を自家用車で出て浜松駅へ向かいました。途中市街地に入ったら、何故かのろのろ運転の状態に遭遇。事故か何かで止まっているわけでは無く、ゆっくりだけれど全身はしているんですが、どうも状況が掴めない。自宅近くの田舎エリアで運転していると、最近のように田植えの時期だとトラクターとかが走っていて、それが律速段階になってノロノロ運転になるという事は有りますが、何かそんな感じですがここは市街地ですし... で、暫くして車線が増えたら分かりました。 何台か車を挟んだ前方を、昨日から始まった「浜松まつり」の御殿屋台が何人かの人が押して移動しているんですね。町名までは分からなかったけれど、多分夜になると御殿屋台の引き回しが中心地域で行われるので、そのたい気場所というか集合場所に行く途中なのかな。その後ろには、何台か車がぞろぞろ続いていたけれど、これはその押し子の人達を、元に連れ戻す移動者なんでしょうね。

新幹線で東京方面に向かうために、駅近くの市営駐車場へ車を入れて駅方向に向かうと、途中の通路に通路を左右に仕切るコーンが設置されていて、「遠鉄グループ」と書かれたビブスを着用した人達が何人も出ています。駐車場から駅に行く間には、浜松市で一番高い「アクトタワー」が有り、ここには幾つかのホールなんかもあるので、何かイベントをやるのかと思ったら、凧揚げ会場行きのシャトルバス乗り場への誘導路のようでした。その人流整理の準備で朝から動員されている感じ。大変そう。更に駅前まで進むと、速くも祭りの法被姿の人を何人も見かけて、朝からやる気十分。初日のイベントは、なんと言っても中田島砂丘での凧揚げで、あれって何時スタートだったかな。「凧合戦」というだけあって、凧の糸を絡ませて互いに相手の凧を切り落とすのがクライマックスだけれど、確か初日は前の年やその年に生まれた子供の出生祝いの祝凧を揚げるのが習わしだったと思う。普通は0歳から1歳までの子供が対象だけれど、もう大きくなったけれどコロナ禍の時に祝い凧を上げられなかった子供が、今年上げる場合も有るらしい。幸いにも凧揚げ期間の3日間は晴天で夏日の予報も出ているくらいだから、綺麗に空に凧が待ってくれると思います。

昨晩は、丁度帰省していた弟夫婦と晩ご飯を食べたんですが、この浜松まつりの話も出ていて、「〇〇(自宅のある町名)も屋台があるのか?」と言うので、コロナ禍以前は夜に近所を引き回したりしていたけれど、街中の御殿屋台引き回しはどうだったかなぁ、と言うような話をしていました。うちの街の屋台も、今朝は早朝から街中まで押したり引いたりして移動したんだろうか。道沿いに移動したら、10kmとは言わないけれど、7~8kmは優にあると思うんですよね。私も、以前健康維持のために朝のウオーキングで自宅から駅近くまで歩いて往復していた時期があったけれど、ジョギング位で走っても往復に2時間半はかかったから、あの屋台を引っ張っての移動だともっと掛かるはず。3~4時間は最短でも必要では。出、そんな話をしていたら弟がポロッと「まぁ、興味は無いけれど」と言うので、おぉお前もそうかと言うと、やはり自分と同じく子供の頃は街中の一部の町だけの祭りだったので、郊外にあるうちなどは論外だったんですよね。そう言う経験があるから、昔からの人間はその恨みというか悪い印象が根付いている行事でもある事は事実。一応今では町の行事でもあるので、寄付とかは払うけれど、それ以上もそれ以下も関わり合いたくないと言うのが正直なところ。

そもそも、昔は無関係だったうちみたいな郊外の町まで関わるようになったのは、想像もありますが多分市街地から郊外へ転居する人が増えて、その人達が昔の名残で引っ越し先の町でも参加するように働きかけたのでは思っています。また、祭り運営委員会としても、参加町数が増えれば、それだけイベントとしても大きくなった集客力も増すし、経費も掛かるけれど収益の増加も見込めるからと言う事も有るでしょう。ただ、凧は兎も角屋台は1年に3日間だけ使用するわけで、それ以外の362日は倉庫にしまっておくだけ。その倉庫だってそれなりの大きさの倉庫が必要で、あの維持費だけでもお金人でも相当な物だと思うんですが。引っ越してきた人達が、今の場所を終の棲家として今後も面倒見てくれるなら良いけれど、今の時代そんなに土地とか地域に愛着も無いだろうし、例えば子供が独立したらもっとコンパクトで利便性の良い町かなに逆に戻るケースも有るだろうし。昔ほど柵が無い分、こういう物の継承とか維持することは難しくなっている気がします。

0 件のコメント:

コメントを投稿