同じように「富の分配が大事なのは、消費市場を盛り上げ総需要を増やすため」というのも。頂点の上澄みは広いすそ野があるから成り立つ。/「愚民を抹殺し、選ばれたエリートだけの世界を作る」系の人達、エリートだけになっても誰かがトイレ掃除しなきゃならない事を忘れがち https://t.co/RAx9rh4m9D
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) February 6, 2024
佐々木俊尚氏が取り上げていた「エリート優性論」的話の落とし穴。こんなことは考える暇も無く明白なことで、何か一つだけで全て完結する事は出来ないのだから、それぞれの場所で必要な仕事を遂行できる仕組みが複雑に絡み合って機能しているのが今の社会であり経済であり、その人も含めた人生そのものだと思う。
この逆の話も真な訳で、良く共産系の人が言う「富める人から取り、貧しい人に配分する」という考え方は、佐々木氏も言っているように全体の底上げ裾野拡大という意味であれば正しいと思うけれど、彼らが言うような全体が等しくなるような状態まで、上から富を取り上げて下に配分して平準化してしまっては、その瞬間は良くても次からは「富める人」になろうという人は居なくなると思う。結果的に、貧しい人に配分する富みももう生産されず、全体が貧しい状態で平準化していくしかなくなるのが、彼らの言う所の「理想的な社会像」だと思う。
最近の物価高や値上げが続く中で、生活費が少ない人の生活が苦しいから価格を下げろという話しをする人が居るけれど、それって結局は成長を止めろという話になるわけで、よく言われる「デフレの30年」を40年50年続けろという話にしかならない。本来は「物価が上がるなら、それ以上に賃金を上げろ」という話をするべきで、そう言う事が与党からでてくるのに野党からはそれ以上の声として出てこないのが、やはり彼らの限界というか力不足を表しいる気がする。
「誰かがトイレ掃除しなきゃならないことを忘れがち」というコメントって、案外社会システムの肝を言い表している気がします。以前聞いた、ミニマリストの人が自宅に冷蔵庫はない、必要ならばコンビニやスーパーで購入すれば良い、みたいなことを言っていたけれど、結局はその人が省いているのはスーパーと自宅冷蔵庫の間だけで、それって全体の極々一部なんですよね。自分が冷蔵庫を持たなければ、余分なものが無くなる、浪費しなくなる、と思っていても、結局はそこで省略されているのはスーパーの棚にあったものが冷蔵庫に移動する部分だけで、スーパーの棚に至るまでの工程は変わらない。それがその工程の中でも多くを占めている部分であれば、実はやっているつもりで効果はないことになる。あくまで自分の想像では成功しても、現実はそうは上手くは行かないという実例だと思う。そう言う「頭でっかち」な人が、今はSNSで可視化されていて、それに乗ってしまう人も増えていることが新しい社会問題なのかもしれない。
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