2023年12月7日

言論の不自由展

出版社のKADOKAWAから翻訳出版が予定されていて、トランスジェンダー書籍が、その刊行に反対する声に屈して直前で発刊中止を決断したという記事。2020年にアメリカで出版されて、LGBT問題に厳しいアメリカでも12万部を越えるヒット書籍になり、10カ国語にも翻訳されていて、日本語版も待たれていた状態だったらしい。それが、ある意味外部圧力にKADOKAWAが屈したわけで、日頃「言論の自由」だとか「差別反対」とか言っている人達からの反論も無し。自分達の都合で批判の矛先を選んでいることが図らずも証明される事象にもなった気がします。

本の内容は、トランスジェンダーに悩む人が安易に性転換手術を受けてしまい、その後の人生で様々な苦労や問題に直面することに警鐘を鳴らす内容らしい。少し前の裁判でも、女子トイレの利用には外科的性転換が必要という経産省の対応は違法という最高裁判所判決がありました。それで外科的性転換手術の重さは十分に確認されたと思うので、それが最後の手段になるかもしれないけれど、不可逆的な処置でもあるのでその判断は慎重になってなりすぎることは無いと思うし、そう言う事をこの書籍では言いたいのだと思う。多分反対して出版中止に追い込んだ人達は、その思い決断を後押しをする力が、SNSというある意味無責任な存在の影響が大きいことを言われるのが困るんじゃないだろうか。ある意味、彼らの発言の根拠が疑われることになるわけですからね。 

少し前に津田大介氏の「表現の不自由展」開催が物議を醸したけれど、あれもその内容を理解した上で、その場所でのその様な場所で開催する意味があるのかと言う話立ったのが、言論弾圧見たいな方向の話になって、それが開催する側の武器にもなったような気がします。そのロジックで言えば、今回だって「表現の不自由さ、制限は許せない」という声が上がらなきゃいけないのに、彼らからそういう発言はない。彼らの「表現に不自由さがあってはならない」という意見には同意できるけれど、その対象が自分達が認めるものに限定しているところが、やっぱり信用できない一番の理由になるんですよね。

今回の話を「LGBT問題」と一括りにすることにも個人的には疑問で、LGBTのうち「LGB」というのは、恋愛対象というか性嗜好の話のはず。それに対して、「T」とかそれに続く「Q+」というのは性自認の話なので、私はここは分けて考えるべきだと思う。特に、「T(Transgender)」に関しては、心の性自認と肉体的(生物的)性別が異なる事が問題とされているわけで、そこには物理的な対策も含まれることが大きな課題。それが、何年もじゅくこうして結論を出して実行したならば、それもその人の人生の選択と言えるだろうけど、まだ未成年者にまでそう言う事を要求することは、虐待に近いものだと思う。例えば10代のうちに性転換手術を受ければ、その後で体質が変化してその手術後の性別特徴が再形成されて、女性になったら出産できるようになるとかと言うのであれば、まだ早い時期での決断にも理解出来る。でも、10代で手術しようが50代で手術しようが、その結果得られるものは元々の性別特徴を「削除」するだけで、そう言う意味では本人の負担は半分解消されるだけじゃないだろうか。それでも精神的性別に半歩近づくことが出来るから、決断して外科手術に進む人もいるわけですが。だからこそ発刊中止に追い込んだ人達は、貴重な議論の機会を捨てたとも言えると思うし、自ら自分達の未来を潰したことになると思う。

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