2023年10月3日

ノーベル生理学・医学賞はmRNA

今年のノーベル生理学・医学賞に、新型コロナウイルス感染症に対するmRNAワクチン研究で貢献した、カタリン・カリコ氏とドリュー・ワイズマン氏が選出されたというニュース。多くのニュースでも同様の驚きを伝えていたけれど、随分と早い選出だなぁと言うのが最初の感想。まだ「新型コロナウイルス」が完全に制圧された訳ではないし、このmRNAワクチンが登場したのも2020年ですからね。ただ、研究自体は1980年代からだったかな、発想を得て痔道に研究していたけれど、周りからは相手にされず一時はお蔵入りしていたけれど、新型コロナウイルスが登場してあっと言う間にワクチン製造へ適用されて、実際効果を出して今に至る訳で、ノーベル賞受賞に関しては疑問は無いけれど。

暫く前にもカリコ氏の半生というか、mRNAワクチンが世に出るまでの苦労の人生を紹介する記事が幾つもありましたが、地道な努力の継続とそれが生かされる(良くも悪くも)チャンスに巡り会えるかで、人生が大きく変わるんだなぁと言うのが実感。後者のチャンスとの遭遇は、これはもう自分ではコントロール出来ないから、結局は自分が信じること、自分が興味を持てることを地道に継続して行くことが先ずは一番なんでしょうね。もう一つ今回の話で面白いと思ったのは、このお二人が出会う切っ掛けがペンシルバニア大学内の共用コピー機を互いに利用していてそこで出会ったという話。例えばフロアーが違っていたら、研究室のあるビルが違っていたら、複数のコピー機があって利用する場所が違っていたら、ifの世界は色々と想定されるけれど、その中でも偶然コピー機で出会って、そこから話が始まるのは、やはりお互いに研究活動なので高い理解と知識があったからとも言えるのでは。

少し前にアメリカの大学での調査だったか、大学への研究費や補助金に関して、見込みがあると思われる限定した研究に集中的に資金投入するよりは、同じ金額でも色々な分野や内容に広く浅くお金を配布した方が、ノーベル賞等に認められるような成果が出やすいという話があり、今の日本の大学支援にも選択と集中が良いのか一石を投じていました。今回のmRNAワクチンの話なんかは、まさにその「広く浅く」戦略があったならもう少し早く実用化されて、もしかしたらもっと効果的に新型コロナウイルスを制圧出来ていたかもしれない。企業内の開発や基礎研究でも、昔(1980年代)の余裕のある頃は「研究開発費」も結構大らかで、必要な資材や機材にやり直しも何回でもやらせてもらえたけれど、1990年代になりバブルが弾けて厳しくなると、あっと言う間にコストカットの時代になって、そんな天国みたいな話は無くなりましたからね。それなのに、研究成果を出せ、売れる製品を開発しろと無理難題を言われたし。あの頃は、面白い研究や製品開発をしていた人もまだ残っていたけれど、結局はお金もないから物が買えない、人も減らさないといけないから時間も無くなる、結局は言われたことをこなすだけで精一杯になって、とても新しいものを生み出す余裕何て無かったなぁ。

その後2000年代から2010年代になると、所謂「ベンチャー企業」ブームみたいなものが始まり、昔ながらの企業が「コストカット」と言いつつも昔のしがらみから結構無駄も多かったところを、ベンチャー企業はそう言うしがらみが無いからどんどん切り捨てて、その分本当に必要な研究開発に投入するみたいなサイクルが出来て、それで結構成功した所もあったように思います。ただ、そこで成功したのは良いけれど、そこから先に進めるのがなかなか大変で、しかも上場したら勝ち組で後は好き放題みたいな所も少なくなかったし。あの所は、成功もあったけれど失敗も多くて、でも熱気はあったように記憶しています。アメリカなんかだと、どんどん失敗してそこから成功を掴んだら、さらに失敗をして成功体験を磨いていくわけで、その最たるものがスペースXだったりGAFA何かもそうだと思うけれど、日本の場合はその「失敗が出来ない」というのが最大の問題点。でも、失敗を繰り返して成功を掴むためにはやはりそれなりのお金も必要な訳で、その部分に対しての投資というかお金の出し方が日本は駄目だなと思います。ただ、ベンチャー企業側にも「開発することが神聖」みたいな所があって、お金集めは性に合わないという人・企業も多いのだけれど、そこは割り切って成長のためのお金集め、集めたお金の出資者には成功して還元、みたいなWin-Winの関係をもっと意識した方が良いことも事実だと思う。その為の呼び水として、大学とか何なら高専とか高校のクラブ活動何かにも、支援金みたいな形で投資していくのも効果的じゃないだろうか。 

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