2023年10月30日

温故知新と言うけれど

とある識者の方が、「江戸時代は食糧自給率100%だったから今の日本でも可能なはず」という書込をしたところ、諸方面からのツッコミが入り撃沈した模様。地元静岡県出身の、そこそこ有名な人らしいけれど「昔は〇〇だったから、現在でも可能」とか「昔は〇〇なのに、今は××なのは怪しからん」という論法は、多くの場合破綻しているから現在は存在しなかったり出来ていない・やっていないんだと思うんですよね。

実際「食糧自給率100%」という話も、その当時の農業生産量で生きられる人しか人口は居なかったかな「100%」であって、だから当時の日本の総人口は3,000万人前後と推定されるらしい。それでも、そこそこの人口数だと思うのだけれど、一方で当時は今のように工業とかサービス業なんて殆ど無い時代だったから、農業就業人口が85%位だったらしい。となると、2,500万人位が農業に従事していた(といっても、今でいう家庭菜園の大規模な程度のものだろうけど)事になる。今の日本の農業就業人口が、200万人を切っていて160万人位らしいことを考えるとかなり大変な作業であったことは伺えます。考えてみたら、当時は肥料といえば人糞くらいしかない時代だし、農機具だって金属製の鍬とか無くて、木製の道具で耕していたような時代だろうし。生産する農作物だって、殆どが米で野菜類とかは生産すると言うよりは、野山に自生するようなものを収穫していたような状況じゃ無いだろうか。

「100%」という理想的な部分だけに飛びつき、その背景を無視してそれだけをいうのは、この手の話では良くある事象。太陽光発電だって、電気代タダ、CO2排出無し環境汚染無し、無限のエネルギー、みたいな謳い文句は昔から言われていたこと。確かに発電が始まれば、相殺して電気代はタダに見かけ上はなるかもしれないけれど、初期投資代と償却後廃棄手数料を合わせると、必ずしもプラマイゼロに成るわけでは無い。CO2排出無し環境汚染無しというけれど、園太陽光パネル製造のためのレアメタル採掘立ったり、パネル製造過程ではCO2や自然汚染するようなものも出ているわけで、太陽光パネル岳見ていれば解決する話ではない。無限のエネルギーと言っても、それは太陽が出ている間だけの話で、夜間だとか天候領事には発電できないからそれ単体で利用出来るものでもない。結局は、太陽光発電には太陽光発電としての適材適所が有るわけで、それを理解して利用するなら十分効果も利益もあるけれど、今のエネルギー体系を変革するような魔法の技術ではない。でもFIT目当てで多数の業者が参入して、今は壊れた太陽光パネルとか、補助金だけ受け取って何もしないような業者が得をしただけ。

昔の技術や知恵を今に生かすことに意味があることも事実。例えば、珪藻土の利用なんかは、室内生活環境の改善に役立つ可能性は大きいでしょうね。最近話題の3Dプリンターによる一軒家の建築では、コンクリートを積み重ねて家を作る(印刷)するけれど、あそこにさらに珪藻土とか漆喰を表面に印刷するような技術が出来たら、結構凄くないと思うんですよね。あるいは、日本の伝統的な発酵技術(味噌、醤油、漬物等)は、健康的にも注目されているわけですし、日本食・和食の調理方法とか調味料類なんかも、世界的な健康ブームもあって話題になっている。あるいは和食のの基本となる「出汁」にしても、出汁昆布にしても鰹節にしても、わざわざ出汁を取るためだけに凄い手間暇掛けて昆布とか鰹節を作っているわけだけれど、日本以外でそう言う食材って記憶にありません。調理する素材から出る「旨味」だったり「出汁」をそのまま利用する場合が、日本以外では殆どでは。今は便利な例えば顆粒だしとか化学調味料とかあるから、わざわざ出汁を取ることも無くて、塩味とか甘味を加えるのと同じような感覚で「出汁」を入れる感じだけれど、素材によっては出汁から煮含ませた方が良い場合、逆に余り火を入れずに最後におだしと一緒に食べる方が美味しい場合、色々あると思うんですよね。そういう素材の一番生きる方法で調理する、食すると言う事を最近は余り意識しないと思うのですが、そういう部分もより美味しく健康的に食生活を送りたければ、少し昔をもいだしたら良いかもしれない。過去を否定する必要も無ければ、過剰に懐かしむ必要も無い。謙虚に振り替える事が一番大切だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿