2023年7月26日

いつか来た道

コミュニティノートとの戦いを続ける(笑)、沖縄タイムス阿部岳記者。どこもかしこもツッコミどころ満載な気がする。

  •  公式の意図とは違って、ネトウヨがコミュニティノートを攻撃手段として使っているのは明らか。
    「公式の意図」は既にコミュティノートで指摘されているように、元ツイートに対して「役に立つ背景情報」を提供すること。そこには、間違った情報に対しての訂正情報もあるだろうし、背景を補強する情報もあるでしょう。前者は場合に寄っては「非難・否定」と取られるかもしれないけれど、決して攻撃しているわけでは無い。「攻撃手段」なる表現を、コミュニティノートの多さの事を言うのであれば、それは背景情報として貼付される元ツイートの内容に理由があるわけで、単に多数の人がコメントのつもりでノートを書けるわけでは無い。ましてや、それらの人達を十把一絡げで「ネトウヨ」と侮蔑するような言い方も、仮にもジャーナリストの一人であるならば安易に使用するべきで無いと思う。で、自分の言説に対して「明らか」と言っているけれど、何も明らかにされずに単に自分の「主観」を主張しているだけ

  • 日本のツイッター界はネトウヨが多すぎて、どんなアルゴリズムも超越してしまうのかもしれない。
    以前何かの調査でアクティブツイッターユーザーの傾向を調べたものでは、所謂リベラル的な発言やリツイートをしているユーザーの方が、保守的な傾向のユーザーの何倍も多かったと言うようなものがあったと思います。実際twitter(X)やネットを見ると、所謂リベラル、左派、反体制といった傾向の人の方が、その内容は別にして活発に書き込みや発言をしていると私は感じます。となれば、特定の傾向が多すぎると超越されるアルゴリズムが、何故リベラルだと超越されないのか矛盾すると思う。と言うか、そう言うものは「アルゴリズム」とは言わないと思うぞ。せめて「例外処理が追いつかない」「オーバーフローが発生している」くらいは言って欲しいけれど。いずれにしても、これも根拠の無いことを自分の主観で言っているだけで説得力は無い発言

  • このもっともらしい形式の新機能が、差別の道具に使われることを最も恐れている。
    「twitter」というそれまで無かった個人の発言を公開拡散する「新機能」の恩恵を一番受けているのは、所謂左派とかリベラルとか言っている人達じゃないだろうか。その中で、自分達の主張を正当化するために、言われ無き発言で差別とも言えるツイートだけでなく、実際に行動を正当化していることも多いと思う。その最たるものは、「汚染水」と読んでの福島差別だと思うし、この「ネトウヨ決めつけ発言」も一般ユーザーに対しての差別だと思う。で、最後の「最も恐れている」と〆ているけれど、うーん自分達がこれまで散々やってきたことなのにという感想しか浮かばない。
総じて、リベラル・左派的なユーザーに付与されることが多いコミュティノートですが、それが気に入らないのか「匿名が悪い、実名にしろ」と政治家自らが言い出す事態にも。この記事自体は現状を淡々と述べていると思うけれど、最後にその追記される偏りを指摘する話で終わっています。確かに、目に付くのはそう言う傾向ではあるけれど、それって元々の発言が偏っていれば、それに比例して貼付されるであろうコミュニティノートが同様の傾向になる事は自然なのでは。別にリベラルだったり左派だとコミュニティノートが貼付出来ない訳ではないので、右派・保守の意見に対しての背景情報・補足情報をどんどん追加すれば良いだけの話し。でも、それが出来ない・出てこないという事は、そう言うことが不要なツイートが多いからとも言えると思う。

これまでも様々な情報共有・伝達システムは生まれていたと思うけれど、特にデジタル・ネットワーク時代になり、その情報伝達速度が一気に加速する一方で、どうしても元情報のコピーが拡散していくので、元の情報が削除されたり修正されても、間違った情報優位でそのまま継続することが問題でした。twitter(X)は、削除すれば消えるのでまだ良かったけれど、今回はそこに補足情報が貼付されればそれも同時に参照出来るので、より効果的に情報訂正というか情報補足出来るようになったことが最大の利点だと思います。信号の誤り訂正機能が生まれて、信号の信頼性は格段に向上したように、このコミュニティノートって一種の「情報補正機能」とも言える気がします。

唯一気になるのは、単に追記しただけでは表示されず「役立つ」評価が増えないとコミュニティノート自体そのまま消えてしまうこと。つまり、悪意のある多数の「否定的評価」で潰すことも可能な訳です。そう言う意味では、何か書込を積極的に行うアクティブユーザーよりも、いつもは単に見ているだけの「サイレントマジョリティー」がどれだけこの仕組みを理解して支えていくかが、今後の存亡が掛かっていると言っても良いかもしれない。実は、そういう理由から、所謂リベラル・左派と呼ばれる人達に対して厳しい評価が増えているんじゃ無いだろうか。いつもは意思表示はしない「無党派層」の隠れた意思表示の場なのかもしれない。

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