2023年5月11日

ウケるストーリーを作りたい

岸田総理襲撃事件の容疑者が、卒業文集に普通なら学校の思い出とか書くのに、ブラックホールや光など物理的な話を書いていて「(学生の頃から)異質な文章を書いていた」みたいな取り上げ方をしたメディアに対して、物理関係者や科学系の人達から猛反撃を受けているという記事。以前も、有る事件で容疑者の家宅捜査をしたら、アニメDVDがあったとか、漫画が山積みになっていたとか、そんな報道が世間を賑わせたけれど、それってまだ裁判すら始まっていないのに、読者を意図的に誘導しようというメディアの策略でしか無いと思う。

確かに、子供頃の原体験が、その後大人になって自分の人生の方向性を決める大きな要因になる事はあると思います。私も、今のコンピューターとかの仕事をしたり、そういう方面に関して興味を持ったのは、子供の頃に乾電池に豆電球を繋げて、点けたり消したりしたことが最初の切掛。その点滅を、自動的に行うようにしたり、複数の豆電球を信号機のように順番に点滅させたりするために、アルミホイルでスイッチを作ってモーターで回して一種の回路みたいなものを作ったりして、そこから電子ブロックの世界に嵌まりトランジスターとか知るようになり、高校生くらいには「マイコン」あるいは「ワンボードコンピューター」と出会って、人生が決定したんですよね。

実は同じように子供の頃に嵌まっていたのが推理小説で、子供向けの「怪人二十面相」とか最初から最後まで何度も読んだものです。それがもしかしたら将来大泥棒になる切掛、と言われたらやっぱりおかしいと思うわけです。例えば、今の子供達は「名探偵コナン」なんて熱心に見ているけれど、あそこに登場する悪役に憧れたら、将来犯罪者になるのだろうか、と。あるいは、自分の子供の頃には、所謂「ガキ大将」とか「不良」という、余り素行の良くない同級生とか先輩とかいたものですが、彼らが成長して成人したら、みんな犯罪者になったかと言えばそうでは無くて、そう言う人の方が子煩悩な父親になっている確率の方が高いと思う。逆に、つい最近発生した学校の先生が同僚を殺害した事件で、その容疑者の男性教諭は周りからは温厚な優しい先生とみられていたと伝えられているけれど、今現在のことだってよくよく調べないと分からないのに、なんで10年も20年も前の話を持ち出してきて、これが原因ですみたいな事を言えるのか、無責任の極みだと思う。

メディアなんて、間違ったことを報道してもちゃんと謝罪することなど先ず無い訳で、よほど批判されても「間違いました、てへぺろ」でも言えばまだマシな方。他人に対しては、散々批判するくせに自分達に対しては責任の「せ」の字もないのは、昔から変わらない。単に、今刺激的な事や予想外の話を伝えることで、自分達のビジネスが売れれば良いと思っているだけ何ですよね。今回の件も、「手製の爆弾を製造した」→「科学的知識や技術が有る人物」→「子供の頃から物理や科学に興味が有った」みたいな事をまことしやかに伝える事で、自分達の記事の正統性みたいなものを主張したいんだろうなぁ。でも、メディアというものは情報の伝達者ではあるけれど、情報の判定者ではない。どう判定するかは、読者・視聴者がする行為。その行為に対してバイアスを掛ける事は、情報伝達者として欺瞞行為と言ってもいいんじゃないだろうか。それはつまり、メデイアとして失格だと言っても言いすぎじゃ無いと思う。そう言う事を反省して、批判を受け止めて行けば、まだメディアの復活もあると思うけれど、結局は彼らがネットの書込を批判するのと同じ言葉が彼らにブーメランで返ってくるだけなんですよね。まぁ、今回の件も墓穴を掘った、と言う事でしょうね。

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