その報道内容以前に、NHK鹿児島放送局は、どういう意図からこの記事を公開したんだろうか。
【立候補したいのに・・】
— NHK鹿児島放送局 (@nhk_kagoshima) March 31, 2023
気候変動対策を訴えている鹿児島大学の中村涼夏さんが、県議会議員選挙への立候補の届け出をしましたが、立候補できる25歳に達していないため受理されませんでした。中村さんは立候補できる年齢を引き下げるべきだと訴えています#選挙に行こうhttps://t.co/lEd9TzGRe1 pic.twitter.com/uhUPHZ8UmS
例えば、選挙権がこれまでの20歳から18歳に引き下げられたのだから、被選挙権も25歳から23歳に合わせてスライドさせるべきだ、と言う話をしたいのならばまだ分かります。でもこの記事では、25歳という被選挙権の制限がある事を周知しながら、21歳で立候補できなかった、という極々当たり前の話をしているだけ。
で、記事を読むと被選挙権の年齢制限の引き下げのために国に対しての裁判を起こすことも考えていると書かれているんだけれど、そうすると今回の21歳での立候補届出はそのための示威行為と取られても仕方が無い。実際こちらの記事を見ると、
訴訟を起こすには具体的な事例の発生が求められるため、あえて不受理になる必要があったという。
と、確信犯らしい。そう言う無理矢理既成事実を作って自説を通そうとする行為は、個人的には賛成出来ないし、実は本来の意図とは別に何か別の考えがあるんじゃ無いかと言う気がします。何故なら、本来の意図が通りそうも無いから、それを利用してやろうというような空気を感じるから。
ネットのTLを見ると、この中村涼夏さんという方は、結構有名な人らしく、高校生時代からSDGsとかそっち方面で色々な活動もしている人らしい。いろいろと疑問を持つことは良いことだと思うし、相反する議論野中から生まれることで重要な事もあることは事実。でも、今回の様な事例を積み重ねることは「目的が正しければ、その手段は問わない」という考えをますます助長することになりそうで個人的には好まない傾向。実際、今の世の中はそう言う傾向が大きいわけで、最近の例で言えば故安倍総理殺害事件なんて、まさに「目的が手段を正当化しようとしてい」事例だと思う。それは、本人や当事者だけで無く、その行動を伝えるメディアに対しても生じる責任だと思う。
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