2023年2月19日

味の基本

浜松に住む人ならお馴染みのお店の一つ、「五味八珍(ごみはっちん)」。中華系のファミリーレストランで、浜松餃子を初めとして、所謂「町中華系」のファミレス。その店名にも使われている「五味」とは、味の基本的な五つの要素で、一般的には「甘味、酸味、塩味、苦味、旨味」と言われているけれど、個人的には「旨味」というのは味の無いもので、味を下支えするあるいは厚みを膨らませる、言ってみれば「触媒」みたいなものだと思っているので、ここは「旨味」よりは「辛味」の方が適切かも。そう言う意味では、中国の「五行」で言う所の味の分類の方が、より現実的かなぁという気も。ただ、日本の食事で言うと、さらに「渋味」というのも有るわけで、その最たるものが「緑茶」の味。そう言う意味では、世間的に「抹茶味」というものは、甘味が加えられて甘い味のような印象が強いけれど、本来は茶の渋味を生かした味付けだと思うんですよね。だから、「甘味、酸味、塩味、苦味、辛味、渋味、旨味」と「七味」位あるような気がします。

そんなことを書きだしたのは、佐々木俊尚氏の昨日のVoicyで、酸味の復権と言うものを取り上げていたから。

調味料の歴史を語るほど知識は無いけれど、多分人類最初の調味料は海水の「塩味」である事は間違いないんじゃ無いだろうか。良く言われるけれど、最初は海水につけて魚とか食べていたものが、海水を乾燥させて「塩」が出来る事を発見して、さらに使われるようになったと思っています。Voicyの中で佐々木氏は「塩と酢」という形で酸味を取り上げていますが、私は「酢」の登場以前に、「腐敗物」から「酸味」という味覚を人類(少なくとも日本人は)発見したんじゃ無いかという気がしています。最近では、余り物が腐るという事を経験している人は少ないと思うけれど、昔は今ほど冷蔵庫や冷蔵技術が発達して折らず、作りすぎて余ったものを捨てるのも勿体ないと保存して、少し長く保管して居ると「ちょっと酸っぱい」味になることは、結構経験したもの。その酸っぱさの度合いで「危ない」とか「まだ大丈夫」とか「火を通せば」とか母親が判断指定のは、どこの家庭でも見られた光景じゃ無いだろうか。そこから、色々なものを腐らせて、新しい食品を作る「発酵技術」が生まれて発展したような気がする。 また、所謂「お酢」が登場する以前から、柑橘類の「酸味」というものは調味料として馴染みのあるものだったんじゃ無いかという気もしています。そして、花の蜜などの形で「甘味」も向かいから存在している味だと思うので、「塩味、甘味、酸味」の三つが基本形なのかなと。

そんな中で、最近は酸味が復権していると言う話題は、少し前にブームになった辛味(極辛)の反動かなぁと個人的には感じるところ。その極辛の前は「甘味」がブームになっていたと思うので、有る程度その時ブームになっている味の反動で次のブームが生まれる気がします。「酸味」と聞くと、どうしてもお酢の少しツンとした酸味がイメージされるけれど、柑橘類のジュースも「酸味」だし。実は私は果物の中では柑橘類が一番好きなので、蜜柑やオレンジは勿論、シークァーサーにカボスにスダチ、ライムにレモン何て言うのも嫌いじゃ無い。でも、赤だし味噌の酸味は嫌いでだから赤だし味噌汁は飲まないし、酢の物にしても、お酢の三杯酢は嫌いだけれど、スダチ何かを入れた三杯酢なら結構好きだったりします。実は、五味(七味)の基本的な味の中にも、口に入れた時に感じる状況は結構違いがあって、例えばちょっととげとげしい感じに味が下に伝わる場合もあるし、全体的に滑らかに舌の上で広がる感じ。さらには、下の場所によって味のの歌みたいなもの輪感じる場合もあるし、さらにはそういう感覚が続く時間(一瞬だったり、余韻が長かったり)等も複雑に絡み合って、色々な味覚のバリエーションが生まれるんですよね。それも一つの味覚では無く、色々な味覚が絡まり合って舌の上で生まれるから、そう言う意味では味は無限大と言っても良いと思う。

味には、それぞれ意味というか目的みたいなものがあるんじゃ無いかと思うわけで、例えば「甘味」はご褒美というか休養系が不足している時に欲するだろうし、「塩味」は一番基本的な味付けだから、味の濃淡というか「旨味」に近い感覚があるんじゃ無いかと思います。「苦味」は、それ自体メインの味付けでは無いけれど、他の味付けを引き立てる脇役みたいな感じでで、コーヒー等がその典型だと思うけれど、集中力を高めるような刺激を生むんじゃ無いかと。「辛味」はエネルギー発生をされる元気の源と言って良いし、「渋味」というのは「苦味」の裏にある「甘味」というものが感じられるような、気分転換的な作用があるように思います。で肝心な「酸味」は、「渋味」と似ているけれど、より直接的に気持ちをリフレッシュさせる、あるいは活力を生むような作用があるんじゃ無いだろうか。体が疲れると酸味を欲すると良く言うけれど、まさに疲れた気持ち・神経の間の摩擦を解消させる潤滑油みたいな存在の様に感じます。そう言う意味では、「酸味」が受けている今は、社会としては疲れていることになるけれど、それってやっぱり「コロナ疲れ」なんだろうか。社会の状況と、欲している味覚の傾向何て言うのは、結構相関がありそうな気がするけれどどうだろうか。

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