2023年1月5日

宗教は息苦しい

立憲民主党代表の泉健太氏の初詣ツイートに噛みつく、自称リベラル派の人達。でも、その泉氏自身にしても、同じ事を旧統一教会信者に対して行っているという認識は有るのだろうか。「旧」が突かない「統一教会」時代から自分は知っているし、その内容に関しては個人的にはカルトに近いというか、かなり極端な教義を持つキリスト教系宗教だと思うし、その宗教に人生を狂わされたと感じる人も多いと思うけれど、でもそれって旧統一教会だけの話ではないし、だから取って特定の宗教弾圧みたいな事を屋って良いとは、今の憲法には記載されていないはず。 

安倍元総理が射殺された事件、所謂霊感商法等で高価な物品購入をさせたり、高額の寄付を強要・あるいはそうせざるを得ないように仕向ける強制的な宗教活動、そして今日統一教会という宗教法人の妥当性は、それぞれ別の話だと思う。安倍元総理射殺の容疑者に、幾ら個人的に安倍氏に恨みをつのらせるような理由が例え合ったとしても、命を奪うことは全く許される行為ではない事は事実。相手の弱みにつけ込み、高額の商品だったり寄付を募ることは仮に違法ではなくても道義的に問題のある行為ではあるけれど、それを本人が望んでいたとしたらそれを止める権利は第三者には無いでしょう。さらに、旧統一教会が一般的に「怪しい」と言われる宗教法人で合っても、それを信じて従う信者からすれば心の救いかもしれないし、誰がどんな宗教を信じて行動しようと、それは個人の信教の自由だろうし、そこにメスを入れるとなると憲法問題にも抵触するだろうし。

日本の宗教観って、個人的に独特の物があると感じていて、言い方は悪いかもしれないけれど、アメリカのキリスト教のように生活と言うよりも自分の人生の一部・支える一つみたいな存在ではなく、何となく付かず離れず一緒にいる存在みたいなそれっぽい存在感はあるけれど、空気のような希薄さも有る、邪魔にならないけれど無駄でも内容な都合の良い存在だと思うんですよね。近代化とともに、昔のような「信仰心」は薄れていて、十強との関わりも、それこそ初詣とか冠婚葬祭みたいなイベントにどんどん限定されていって、多くの人にとっては希薄な存在になっている一方、だからこそ免疫みたいな物も薄れているから、中にはこれまで以上にはまってしまう人も残るんだろうなぁ。寄付寄進だったりは昔から有る話で、でも昔の場合はその多くは地元の有力者だったり資産家が担っていたものが、色々な理由からそう言う存在が減っていくと、今度は一般の中から広く熱く集めることをしないと、宗教本体が続きませんからね。

社会の変革や、人の意識の持ち方の変化で、「宗教」自体の意味や定義が少しずつ変質しているのかもしれない。行ってみれば、アイドルとか骨董品に入れ込むのと同じような理由から、宗教とか教祖に入れ込むみたいな事になりつつ有るのかもしれない。宗教側としても、そう言うアルミ自分達にとって都合の良い「エコシステム」が一旦構築出来れば、有る程度の安定が得られるわけで、それに成功しているのが統一教会であったり、一部の宗教法人じゃ無いかという気がする。大きな法人は、薄く広く寄付を集めても成立するだろうけれど、中小の法人はより先鋭化してコアな信者開拓をするのは、何となくビジネスの話と似ている気がするのは、宗教自体が元々の相互援助・互助会的な仕組みから、文字通り宗教ビジネスに変化してきた証拠だと感じます。まぁ、泉代表に対しては大変だなと思う反面、そう言う事を相手に対してやっている事も事実な訳で、それに気がつけば授業料と思えば良いけれど、多分そんな変化は生まれないでしょうね。

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