2022年12月21日

犠牲前提の専守防衛

不安定化する世界情勢を鑑みて、来年度から自衛隊関連予算が大幅に増えていくことが予定されているけれど、それに対して「敵基地攻撃反対、先制攻撃反対、専守防衛を守れ」というような、こう言う意見を未だに声高に言う人達。 

結局この人達の言う「専守防衛」は、日本があるいは日本人の犠牲者が出るまでは相手を攻撃するな、と言う事なんですよね。であるならば、ではどれだけ日本が被害を受けたら、日本は「専守防衛の範囲での反撃」が許されるのか、という規準を聞いてみたいところ。相手の攻撃が、日本の領土領海領空で発生したら「攻撃を受けた」と判断するのか。無人地域にミサイルが落下した程度では攻撃と認識しないけれど、建物への被害が発生したら攻撃と認識するのか。死傷者が発生したら攻撃なのか。以前北朝鮮のミサイル発射に関して某新聞社は「一発だけなら誤射かもしれない」と言い放ったけれど、ビルが壊れたくらいなら相手のミスかもしれない、こちらがエスカレートしてはいけない、とでも言うのだろうか。

「国防」とか「国民を守れ」と言いながらも、この人達の言っている事は「まず国民の犠牲が発生するまでは何もするな」と言っている訳で、行ってみれば国民を盾にして相手と対峙せよと言っているに過ぎない。しかも、相手に対峙するにしても、力では無く言葉で、対話で、話合いで、と言うけれど、そう言う事が通じなくなったから、あるいは無視するから武力でこちらを攻撃してくるのが「戦争」なのでは。 例えば、日本は射程距離50km迄のミサイルしか持ちませ。しかし、相手の攻撃を完全に阻止するために、国内の領土領海に隙間無くそのミサイルを並べて周辺防御を行います。その為の設備、人員などの予算で年間100兆円使用します。しかし、絶対に日本から50km以上進むことは無いので、これは完全に専守防衛のシステムです、と言ったら納得するのだろうか。

ハリネズミのように日本の周りに防御壁を構築すれば、それは「専守防衛」の理想型かもしれないけれど、膨大な予算や人的リソースが必要になる。無限にお金も人も生まれるわけでは無いのだから、当然そこには経済性とか効率性というものも生まれる。北朝鮮やイラン等が何故国際的な批判を受けながらも核兵器開発を辞めないかと言えば、核戦術を一つ持てば、それが世界に対して抑止力になるから。日本だって通常兵器を半減させて、そのぶん核戦術開発をして核兵器を仮に保有したら、今以上に経済的にしかし発言力としては大きい物を得られるでしょう。でも、様々な理由から日本はそこには進まない、進めない。となれば、通常戦力を充実させて、日本を標的にする相手に対して手強いぞと言う事、手を出せばそれ以上の反撃があるぞと言う形での「抑止力」に訴えるしかない。大体憲法9条があるから日本は戦争をしないと言っているのに、なんで日本が戦争をする心配をこの人達はしているのだろうか。「いゃ、岸田総理が9条を無視して戦争を始める」というのであれば、元々の憲法9条が存在していても無意味だという事を自ら言っていることになるのだけれど。現実問題、憲法9条は日本の侵略を否定しているわけで、それは別に9条が会っても無くても今の世界では当たり前で、それに反する行為をする可能性があるのは、今のロシアとか中国とか北朝鮮とか、極々一部の国だけ。それに対して、そう言う相手から日本が攻め込まれるリスクは、今のウクライナを見ても明らかなように段々と高くなってきているわけで、その為の対策をどうするのかという現実問題に対して、彼らはまったく回答を持っていないし、自分達の夢想の中でしか生きていない気がする。

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