2022年11月26日

男女同数

帝京大学のゼミ生募集を巡り、男子学生の名前から女子大生と勘違いして失態を晒してしまった大学教授の話。どう言う理由かまでは分からないけれど、仮にこの教授の「女性優先」の理由が、「昨今の社会状況を鑑みて、ゼミ生は男女同数が望ましく、少ない女子学生を採用するために確認しただけ」と説明したらどうなるだろうか。

勿論、 記事のその後のやり取りを見ていると、そういう男女同権みたいな考えがあるようにも見えないし、「結局、通るのは美人の女だったりするわけでしょ。」とか言っているところを見ると、その研究室の「花」が欲しいだけで、余り女子学生の学力とか研究意欲とかを期待している風にも見えない。でも、最近言われているような「男女同数採用」みたいな事を本当に進めるとすれば、少なくとも採用時にはその応募者が男性か・女性か、あるいはトランスジェンダーなのかまで確認しないと、単に試験結果から選抜して、殆どが男性とかになったら、「何故女性を採用しない」という批判に繋がる可能性も。

女性の社会進出とか、機会均等と言う事が言われ初めて結構長い時間が経過していると思うし、昔と比べると色々な場面での女性進出や要職に就く女性の姿も増えたと思う。それでもまだまだ女性の活躍する場は少ないと言われていて、だから強制的に女性比率を上げたり半々にするようなことも言われているけれど、それが義務化までされてしまうと、結局は今回みたいな話が普通に生まれてくるのでは。帝京大学の男女学生比が1:1に近いのかどうかは分からないけれど、どちらかの比率が低い場合に、でも同数揃えろというのは無理な話。結局、そこには数合わせだけが先行してしまい、それって研究室に取っても損失だし、無理に採用される女子学生(or 男子学生)に取っても不幸では無いだろうか。

今回の事例は、多分教授の個人の好みで選抜する不適切な事例だと思うけれど、機会均等という事はもっと進める必要がある事は事実。ただ、それって枠を作ってそれを埋めるだけでは駄目だと思う。研究室で男女同数にしようと思えば、先ずはその大学の学生構成が男女1:1にしないといけない。でも、それをやろうとすると男女で合格点を別々に設定しないと定員に満たなくなるかもしれない。結局は、無理に半々に設定しようと思うと、その為に必要な歪みがどんどん伝搬していって、歪みのケツかとして見た目の均衡が得られるような本末転倒な事例が生まれてしまうように思いますね。極端な話、大学は全て男女共学にして、どの大学も男女比を1:1に合わせないといけない。男子校とか女子校の存在が否定されるわけです。それって本当に良いことなのか。穿った見方をすると、今回のゼミ生の応募の話って、ある意味ジェンダーフリー世界のカリカチュアにも見えなくもない気がする。

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