ここ最近の霊感商法に関する報道を見聞きしていて、何かに似ているよなぁという既視感を感じるんですが、これってメディアによる「風評加害行為」と構図的には同じなんじゃ無いかという事。つまり、
- 最もらしい権威付けをした「もの(例えば壺)」を、
- 弱者の弱みにつけ込んで提供して、
- 何らかの利益を得る
- メディアという権威を背景に、自分達の欲する「情報」を
- 被災地やその他の人々の不安につけ込むように報道して
- 結果的に自社の利益となるような視聴率や購買率を上げようとする
問題なのは、情報を賞品としているメディアだけでなく、それを利用している集団、特に立憲民主党とか日本共産党等が、公的立場にあるのにかかわらず、客観的な判断無く自分達の思い込みで風評拡大させるような加害行為を今でも続けている。福島第一原発に関しては、すでにIAEAの査察も行われて問題無い状況である事は、客観的かつ国際的に判断されているのに、未だに「汚染水」だとか「放射能被害」みたいな話を延々と繰り返している。仮に彼らが無能な無知な人材であったとしても、それならば議員不適格者として乱戦させるべき何だけれど、そんな彼らにも一定数の支援者がいるからか未だに議員を続ける人も居るわけで、これも社会の中で必要な「悪」というか「毒」なのだろうか。
豊洲市場移転の時もそうだったけれど、あれだけ騒いで批判していたくせに、その後の豊洲市場に関しては、それら問題点が解決されたのかまだ残っているのか、現在はどう言う状況なのか、一切言う事は無い。言えば自分達の間違いが明らかになってしまうからだとは思うけれど、それ以上に今話題にならないことには興味が無いんでしょうね。話題を作って、自分達が目立ち注目を集めることが目的だから、それ以外の行為に関しては興味が無い。だからこそ、今は国葬儀だとか旧統一教会の話に熱心なわけで、これだって国葬儀が終われば何も言わなくなるだろうし、旧統一教会関係の話も、安倍元総理襲撃事件の裁判が始まれば、矛先を代えてくるだろうし。
メディアが旧統一教会よりも悪質だと思うの場、全国民を対象に情報欺瞞に近いようなことを平気で行って、それでも自分達は「真実を伝えている」という変な高揚感を理由にその行為を恥じるどころか、検証すらしないことだと思う。信教の自由があるために、宗教法人である旧統一教会に対しての制限が壁となったように、メディアに対しても実は言論の自由があるために強制的な事はなかなか出来ない。何らかの手段で、彼らの発言行為を止めたり制限した場合、同じ事が自分自身にも降りかかるわけですからね。だから、言論に対しては言論で対抗するしか無いけれど、その時にはそれぞれの組織の大きさが影響する事も事実で、幾ら過去問題を起こした組織でも、時間が経つとそれが免罪されたことになってしまう。物理的な製品製造であれば、問題を解決した新製品を出す事で過去の問題を解決したと理解出来るけれど、形の無い情報が商材の場合にはそれすら出来ない。霊感商法を追求する側が、実は同様の風費用加害者(社)であることは、何とも皮肉な構図だと思う。言い方は悪いけれど「目くそ鼻くそを笑う」だなとつくづく思う。
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