自民党も野党や世論(メディア)の圧力に負けて、「旧統一教会との関係を切らないと離党」と宣言。旧統一教会の行動が良いとは思わないけれど、こうなると旧統一教会と関係のあった人で今は関係を切っている人でも排除されるようなことになるのでは。と言うか、これ完全なる踏み絵であり、政治による宗教への介入になると思うのだけれど。
何度も書いているように、私は宗教には無関心というか興味は無いし、旧統一教会等は自分的な過激な考えを持っている類の法人だと思っているけれど、それでも宗教という大きなカテゴリーの中では世界的な組織を持つ集団の一つ。その殆どが問題のあるケース出会ったとしても、仮に少数でも「救われた」と感じる信者がいれば、それは宗教として成り立つ(成り立ってしまう)要素になるんじゃ無いだろうか。
一応、旧統一教会以外にも「過激な団体との交流は禁止」という事らしいけれど、その「過激・過激で無い」の線引きは誰がどう言う理由で決めるのだろうか。結局週刊誌報道しか無いんじゃ無いの、そのボーダーを決めるのは。旧オウム真理教の場合だって、あれだけ色々な事件を起こして、最後にサリン事件を起こしたところでやっと逮捕行動が出来たくらい。それまでは、メディアが持ち上げたり、選挙に出れば一種のお祭りみたいなと利上げ方をしたりしていた。で、サリン事件が発生してオウム真理教の行為が明らかになっても、結局は当時の弁護士会等が否定して解散できなかった経緯と比べると、ちょっと極端な気がする。
仮に自分が旧統一教会側の人間だったら、もし自分ならばこのような流れを批判しつつ、自分ならば裁判で「政教分離の原則逸脱」ということで、国とか提訴する作戦に出るだろうなぁ。それに対して国としては、どの様に正統性を説明為ていくのか。多分そう言うやり取りが集まって、「カルトとは何か」とか「違法宗教活動とは何か」とか「宗教と政治あるいは行政との関わりで許される範囲・許されない範囲」みたいなガイドラインが生まれていくのだろうか。日本は所謂宗教に関しては昔から寛容な土壌があったと思うけれど、結局はそれを利用していく勢力なり団体が台頭してくると、どうしてもより細かな厳格なルールを作っていくしか無い。それって、結局は緩やかな日本の宗教観を崩していくことになるんでしょうね。ある意味、日本の文化感の転換期になのかもしれない。
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