2022年8月24日

予定通りのブーメラン

予想通りのブーメランとなった、立憲民主党と杞憂統一教会との関わり。事前に言われていた、枝野前代表や岡田元副総理などの教会系紙の「世界日報」への記事掲載だけで無く、今彼らが批判している関連会合への祝電、出席、会費支払いなど、14名の議員が関係していたというもの。で、いつもの様にご都合主義で、

 すべての人が旧統一教会の関係と認識していなかった。今後は、一切関係を持たぬよう徹底していく

で終わらせるつもりなのだろうか。お得意の「なんちゃら合同ヒアリングタスク」とか、臨時国会を開催して追求しなくても良いのだろうか(マテ)。

旧統一教会が他の宗教団体と比べて、これほどまでに叩かれる理由は、「霊感商法」などの不法行為が理由だと思うのですが、今ひとつピンとこないのは、じゃぁそれ以外の宗教団体はそんな事は一切関わらない清廉潔白な存在なのか、ということ。旧統一教会は30年程前に大々的に取り上げられた事もあって、この手の疑惑の本元のように言われているけれど、それ以外でも似たような話は有るんじゃ無いだろうか。自分の家のお墓があるお寺だって、「〇〇さんのお宅は、地元の名士だから、ご寄付はこれくらいは出さないとみっともないですよ」みたいな事は聞く話。それで別に壺や数珠を売りつけられるわけでは無いけれど、本来の商行為(原価があり、そこに経費などを追加して、さらに利益を乗せて価格とするもの)から見て、かなり特異な世界観が存在しているのが、宗教界隈じゃないだろうか。

以前身内の葬式を出したとき、お通夜や告別式にお寺の和尚さんに読経をあげて貰うために何人か来ていただき、戒名を決めたりとか一連の行為を経験した事があるんですが、ビックリしたのは葬式の時にお坊さんへ渡す「お布施」って、免税されるんですよね。しかも、領収書無しで代わりに「幾ら渡しました」みたいなメモで処理可能。一方で、確か葬儀費用は免税対象だったけれど、それ以外の費用は対象外とか、結構曖昧な境界線にビックリした事も。何でもかんでも明確にするべきとは言わないけれど、でもああいう曖昧な部分が残っていると、大なり小なり問題も生まれてくるんだろうなぁという気はしましたね。

雑誌への寄稿とかインタビュー記事なども、最初から掲載紙がちゃんと分かっていない場合も有るだろうし、そう言う話が毎日のように依頼される立場の人間だと、ある意味機械的に処理していく事も有るんじゃ無いかと思います。一方で、「私は〇〇今日信者です」なんていう名札を付けていない以上、誰がどんな信仰を持っているかは個人の自由だし、そこを明確にしないと何も対応しないというのは「差別」の一つだと思う。それは、オウム真理教以降の例えばアレフの様な団体であっても同様。勿論、何か怪しい行為が見られたらそこは追求の対象になるんだろうけど、そうで無ければ傍目的に変わった信仰とか宗教行為があったとしても、公序良俗に反しない限りは強制的に止めさせる事も出来ないだろうし。政治家で有る以上、怪しい行動や行為は注意されるべきだけれど、何でもかんでも感情で批判すれば良いというわけでは無い。未だに霊感商法が横行しているならば、それを問題として上げるべきで、そこに何らかの政治家が関係している事が明確ならば非難すれば良いだけの話し。それを一般論に絡めて否定していくのは、批判する側の暴走と言えると思う。それを政党単位でやった要るから、かれらの支持も戻らないわけで...

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