2022年8月13日

とりあず出社

テレワークに関して「取りあえず出社」を要求する会社には未来は無いと言うなかなか刺激的な記事。もう15年以上在宅勤務(テレワーク)をしている、「国家非公認上級テレワーカー(笑)」としては、新しい働き方としてテレワークを導入しないまでも認めない会社は時代に取り残されていくだろうと思う反面、何でも関電テレワークで解決出来るほどビジネスは甘くないことも事実なんですよね。そういう部分を言い出すと、凄く色々細かな話とか細かな定義等が入り組んで、説明が複雑になる事も理解出来るんだけど、どうしてもこの手の記事とか批評をみると「テレワーク・有りか無しか」の二択論争に陥っていて、本来のメリットから遠ざかる話になりそうな気がします。

先ず、会社や組織の規模によっては無理にテレワークする方がオーバーヘッドが増えたりコストアップしたりして、メリットが少ない事の方が多いと思う。そして、仕事の内容によっては、例えば製造業のようにテレワークには向かない内容もあれば、事務系とか企画系のように職場にいなくても必要なインフラが揃っていれば問題無く移行出来る仕事もある。そのバランスや采配を考えて、ベストミックスというか最適化していくことが、まずはテレワークの第一歩だと思う。私も、仕事の多くがプランニング系(Project Management)であり、しかも仕事の相手の殆どがアメリカにいる担当者やエンジニアとの仕事だったから、ある意味最初から「リモートワーク」して居るような物。だから、パソコンを開く場所がオフィスの中だろうと自宅のリビングだろうと、実は関係無かったので上手く移行出来たと思っています。それでも、テストしたり機材を使用した作業もあるので、月曜日から木曜日は自宅で、金曜日はオフィスに新幹線通勤するスタイルを15年以上続けてきたわけですが、それは自分の仕事内容に恵まれた部分も大きいと思っています。

もう一つの理由としては、その仕事は自分一人でほぼ完結する内容なので、テレワークで問題になるような周りとの協業とかコラボレーションが出来ないとか、そういう部分が有る程度回避出来たことも大きいと思います。例えば、ソフト開発だと、企画担当者、 デザイン担当、コード作成担当、テスト担当等、複数の人間が関わるチーム体制で作業する場合、それぞれの作業は独立して一人でも出来るけれど、やはり全体として共通理解の元同期しつつ作業を進めないと、全くちぐはぐなものが出来てしまいます。共通のコミュニケーションツールを使って理解を共有するというのは良くある方法だけれど、そのうちにその場を見ない人、アクセスしない人も出てくるだろうし、それを理由に直接会話をし始めると、今度はそのパスから情報が落ちてしまう人も生まれてくる。会社の会議室に集まって会議すれば全て解決出来るとは言わないけれど、一同に介して共通認識を確認しつつ新しい要素を追加して作業というのは、特に開発に置いては重要だと思います。オンラインでも不可能では無いけれど、なんて言うか同じ30分間一緒の空間を共有するとしても、リアルの30分とバーチャルな30分では前者の方が「濃く」なる気がしますね。バーチャルだと音声と映像だけだけれど、リアルだとそこに「圧」とか「雰囲気」とか「表情」とか、情報要素が増える事が大きいんじゃ無いだろうか。

日本でテレワークがなかなか進まない理由には幾つかあると思いますが、個人的に最大の理由は、現行のビジネスの流れを、そのままオンライン化しようとするから上手く適合しないし、利用者としてもメリットを感じないことだと思う。似たような事例では、これまでの仕事や作業の流れを、そのままコンピューター化するとかオンライン化しようとして失敗するのと同じだと思う。現行の流れ(スキーム)がどう言う要素から構成されていて、その中で新しい環境では不要となる部分、冗長な部分、新規に必要になる部分という、適応作業をしないと、幾ら最先端のシステムを導入しても失敗するだけ。同じように、リモートワークをする上では、例えば紙物の書類のやり取りをオンライン化することの方が先だろうし、勤務体系だって時間制から裁量労働制や場合によっては成果主義にまで改革する必要があるかもしれない。勿論、180度異なるような仕組みに一気に変更することも無理だから、少しずつ改革していくことも重要だし、その為にはまずゴールを全員で共有して、そこに至るために必要な事を全員で考える事を最優先しないと、結局は「リモートワークと言っても使い物にならない」と早晩判断されて終わってしまう気がします。今回の記事の話が、そう言う方向に進む企業や組織の言い訳にならないことを個人的には祈りたいですね。

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