2022年7月19日

生活宗教とビジネス宗教

安倍元総理殺傷事件の犯人の発言から、何十年振りかに「統一教会」がメディアで多く取り上げられているけれど、正直なところ「何を今更」という気もしないでも無い。 30年ほど前には、当時有名な女性キャスターが当時の統一教会に入会し、それを脱会させるためにジャーナリストでもあった父親の行動は当時大きな話題になりました。あと、同じ頃某アイドル歌手が統一教会の合同結婚式に参加して、かなり騒ぎになったこともあったわけで、そう言う意味では30年ほど前にはかなり話題になったにもかかわらず、その後何故か表に出ることも無く30年が過ぎ、それが今回堰を切ったように再びメディアに登場しているのは何か不思議な気がします。

アメリカで生活した経験があるので、向こうでの宗教=キリスト教との関わりはちょっと日本人には想像つかない部分も多くて、自分も日曜午前の礼拝に連れて行かれたこともあったけれど(司祭の説教の英語なんて全然分からない-笑)、正直自分の実家での神社や実家のお墓のあるお寺との付き合いと、そんなに変わらない様な気もします。例えば、神社との付き合いでは、自分のところは田舎なので自治会が持ち回りで神社の清掃活動とか月一回やっているし、10月にはお祭りが開催されるので、そのお手伝いなんていうのもあります。お墓のあるお寺には、月に2回はお坊さんがお経を上げに自宅に来るし、月に一回はお墓の清掃をしにお寺に行ったりするし。お盆の時期や年末年始には、お寺へのお布施何かも渡さないといけない。結構事務的と言うと怒られるかもしれないけれど、地方の地域習慣としてはそれが普通な部分もあります。多分自分くらいの年代が、昔からこの地域に住んでいてそう言うものに子どもの頃から触れてきた最後の世代になるんじゃ無いだろうか。

神社との付き合いは、正直そんなに深いとは思わないけれど、お寺との付き合いはもう生まれたときから死ぬまでと言うか死んだ後もずっと続く物。自分の家のお墓にも、私が会ったことも無いような曾々祖父母とかの名前も破壊しに刻まれていて、それよりも古いお墓も周りにはありますからね。最近では散骨が広がってきているので、お墓の無い家庭も多いのだろうけど、まだまだ多くのお墓は残っているし、今の法律では死んで火葬された遺骨は勝手に処分することは出来ないから、どうしてもお墓との付き合いは当分残るだろうし。そう言う生活の中に溶け込んでいる、あるいは地域の習慣として定着している物は多くの場合問題無いのだろうけど、その特殊性故に良からぬ事を考える人も少なくないわけで、これまでも色々な事件もありました。特に宗教法人は無税という事を利用して、いろいろなビジネスに勤しむところも多いだろうし。勿論中には、檀家さんが減っていきそれでもお墓を守らないといけないから、何らかの収入手段を考えないといけないところもあるだろうけど。それを超えたところも多いと思うし、成功しているところは巨大な主教ビジネスみたいなものになっているのも事実だと思う。

私の大学は、某巨大新興宗教の本部と隣接していて、昔は周りの土地の取り合いとか、学生とその信者とのいろいろな鬩ぎ合いとか(笑)ありました。その時に不思議だったのは、そう言う巨大宗教って必ず大きな建物(大学の校舎よりも立派な施設だった)だったり、華美な施設があったりするんですよね。大学の学所の反対がには、その宗教の宗主様の自宅があったんですが、高い金属性のゲートで守られた凄い場所で、まるでマフィアの親分の自宅みたいだなぁと当時は不謹慎ながらも感じたくらい(笑)。で、在学中に確かその宗主様が無くなったと思うんですが、その週教団大破そのまま残り続けて、今でも興生を極めているわけで、そう言う組織体となった宗教ってそれまでの信仰だったり宗主への信頼みたいなもので支えられていた物と違うと思うのだけれど。言い方は悪いかもしれないけれど、一旦創り上げた会社は、出来るだけ存続させたいのと同様に、一旦生まれて拡大した組織は何としても守らないといけないと言う意識が、時には宗教を超えたところまで広がり、それがさらに場合によっては悪徳商法みたいなビジネスの闇の部分に進むこともあるんでしょうね。いずれにしても、30年以上前から問題になっていたことをずっと黙っていたのに、安倍元総理の事件が衝撃的だったからそれを免罪符に再び取り上げているメディアだけれど、また暫くしたら静かになって忘れ去られていくんじゃ無いだろうか。今宗教と政治の関係が問題視されているけれど、宗教とメディアの距離だって怪しいものがあると思うなぁ。

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