2022年6月12日

言葉は文化の一つ

「日本でも、英語での授業・業務を」という話は、忘れた頃に再発してくるもので、佐々木俊尚氏のところでも取り上げられていたので、ちょっと雑談を。

自分は中学・高校・大学と、理系科目は得意だったけれど、英語はそんなに得意じゃ無くて、特に中学2年位までは絶望的でした。「暗記物」が苦手だったので、単語が覚えられず語彙が増えない。また文法も、未だに「目的語」とか「補語」と言われてもピンと来ず(笑)、かなり無茶苦茶な状態でした。で、中学三年になった時の英語の担任の先生がちょっとぶっ飛んだ人で、その中で今でも記憶して居るのが、英文を訳すときに数学の関数のように語句を括っていって内容を理解するような方法を教えてくれたんですね。それで自分なりに「英語」の構造が何とか分かったような気がしました。高校時代は、それでも低空飛行状態で、大学に入って再び地獄を見たんですが、その時にこの「英文を関数のように解釈する」事を思いだして、英文解釈が何とか出来るようになり、さらに何故か米系の外資系企業に就職。4年後には半年以上もアメリカ出張に放り出されて、 そのお陰で耳が鍛えられて早口の英文も理解出来るようになり、聴くことが出来るようになると話すことも出来るようになり、何とか今でもご飯が食べられる資産になっています。

まぁ、その時には「自分も子どもの頃に英会話教室とか行っていれば」と思ったりもしましたが、その後仕事で英会話能力とか使うようになり、それなりに英語が会話とか仕事で使えるようになって感じたのが、これまで何度か書いているように「先ず基本となる語学力(=日本語)がしっかりしていないと、その上に多言語能力は根付かない」という事。色々理由はあるんですが、一番感じたのは「言葉は文化も含む」という事。例えば英語の言い回しで、アメリカの文化や習慣に基づいた物も多いわけですが、それって単に言葉を翻訳するだけじゃ分からない。文化的背景が共通だから通じる訳です。だから言葉だけ覚えても本当の意味で「使える英語」には中々ならない。だから、アメリカ国内で生活して向こうの文化に触れながら生活するなら分かるんですが、日本の中で日本文化の中で言葉だけ「英語」を学んでも、無駄とは言わないけれど有る程度のレベルを超えて習得する事は難しいと思う。勿論、英語学習の切っ掛けには大いになるだろうし、そこから海外経験に繋がる事もあるだろうし、良いことだとは思いますよ。でも、単純に日本語環境に英語(や、その他外国語)を導入するだけでは、本来の意味での「言語習得」は中々難しいと思う。

「言葉」は情報交換するための記号ではなくて、文化とか生活とか、そう言うものも含んだ物だから、そう言う隠れた属性も含めて経験していかないと、やはり「言語」として身につくことは難しと思う。じゃぁ海外に移住しないと身につかないかというと、それは理想ではあるけれど難しい。一つ個人的に思うのは、何か一つでも二つでも向こうの文化とか習慣に馴染むというのは良い方法じゃないかと。自分の場合は、それがフットボールであったり、スタートレックであったりするわけですが、言葉だけでは無く何か「文化」に注目してそれも一緒に身につけたり興味を持つと、そこから言葉にも幅が広がり、単に日本語・英語の「翻訳」とは違う英語になると思います。そう言うものを見つけることが出来れば、仮に日本国内で英会話教室に通って英語を勉強するにしても、多分発音とか文法の正誤とは別に、寄り相手に「伝わる英語」になりそうな気がします。只、そう言う事も先ずは基本となる言葉の習得が有ってこそ成立する物なので、やはり有る程度の年齢になるまでは先ずは日本語の言葉とか言い回しをしっかり勉強した方が良いと思う。そこで身につける物は、行ってみれば日本語を構成する文化や習慣みたいな属性の存在で、それが分かっていると英語を勉強し始めたときに、英語の「隠れた属性」みたいなものにも気がつきやすいんじゃ無いかと思いますね。そう言う意味で、高校生くらいまでは、まずは色々な日本の書籍を読んで、知識や言葉を覚えて、その後英語やその他外国語に挑戦しても十分に間に合うと思う。あと、子どもの頃から音楽を経験して、耳を鍛えると多分外国語習得に役立つと思う。英語の発音でも、日本語の発音とは違う周波数帯の音が含まれていて、それが聞こえるかどうかで単語の理解にも差があるそうですが、それも自分の経験的には正しいと思う。だから子どもの頃に教育するのであれば、音楽教室に通わせる方が、英会話教室よりも後々効果が有るんじゃ無いだろうか。あくまで、個人的経験からの考えですが、無理強いするんじゃ無くて自然に身につけた方が有効だと思うなぁ。

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