2022年6月9日

「やり返した」のが悪い

今日は所用で新幹線で朝から出かけているのですが、浜松駅の新幹線待合室で出発までの時間を潰していたときの事。待合室内にはテレビモニターがあり、代替の場合NHK総合チャンネルが選択されています。今朝も朝のニュースを放送していて、見るとも無しに観ていました。で、ロシアのウクライナ侵攻に関連して、私人の谷川俊太郎氏が作成した「 へいわとせんそう」という絵本の紹介コーナーが始まります。

この絵本、発行されたのは3年位前で、それが今回のウクライナ侵攻で再注目されているという紹介でした。毎日報道される戦争のニュースに、子どもも疑問を持ち、それに答えるための一つの方法としてこの絵本が利用されている、と言うような話だったと思います。私人、谷川氏の詩を昔の子どもの頃には読んだ記憶があるけれど、最近はそんなに目にした記憶は無いし、今回の絵本もちょっと恣意的なないようなのかなぁと言う印象くらいしか持っていないので、そのまま聞き流していたんですが、放送の中でその絵本を利用しているという女性インタビューになり、その発言を聞いてびっくりしました。

その女性は絵本を使用しているといいながら、今回のロシアのウクライナ侵攻について、「ロシアが攻めて、それにウクライナがやり返したから戦争が続く」みたいな発言をしたんですよね。前後の言葉は記憶に頼っているので違うかもしれませんが、「ウクライナがやり返したから」というのは鮮明に記憶に残っています。「やり返したから」って、そうじゃ無いだろう。子どものケンカくらいの話なら、まだそう言う言い方もあるかと思うけれど、例えばいじめっ子がある子どもをいじめていて、そのいじめられていた子どもが勇気を出して反応したら、この人はそのいじめられていた子どもが「やり返した」と言うのだろうか。それって、いじめっ子を肯定する事ですよね。

その後、谷川氏のインタピューの場面になり、こちらも詳しい言葉は正確には覚えていないけれど、彼曰く「敵と味方」という区分が怪しからん、融合した形で何か解決策が有るはず、みたいな事を話していたように記憶しています。失礼を承知で言えば、何か現実離れした他人事みたいな意見だなぁと正直感じたところ。自分自身が、あるいは自分の家族が、あるいは自分の生活も含めた国家がどうなるか分からない時に、そんな暢気な事を言っていられるのだろうか。「戦争反対」という意見には100%賛成するけれど、今回の様に相手から攻め込まれてきた場合には、まずは相手を押し返さないことには、相手が利益を得るだけで自分達が損失を被るばかりなんですよね。少し前にTLの中で、戦争反対を言っている人達は、日本の戦後にアメリが統治時代を、今のロシアにも当てはめているからああいうことを言えるんじゃ無いかと言っている人がいて、それは目から鱗の考え方でした。たまたま日本は戦争に負けて、占領されて、それでも経済復興をして今があるけれど、あれは多分唯一の例外じゃないかと思った方が良いというのは、私も同意見。理性が無く戦争を始めたロシアに、どうして理性的な対応が期待出来るのか、あらためて疑問を感じた朝の出来事でした。

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