2022年3月16日

実感のない「戦争」

ウクライナ情勢に関して、さまざまな意見があるしそれが出てくる事は仕方ないことだと思うけれど、とは言ってもその内容に関しては「程度」とか「限度」はあるとは思うんですよね。そんな中で、こんな感じの「ウクライナは、一旦手を止めて撤退し、先ずは人命を優先して、その後時間を掛けて巻き返せば」みたいな意見は、よく聞く物の一つ。 

確かに人命は大切だし、一度失ってしまえば取り返しの付かないもの。一方で、壊れた建物なり社会インフラは、その時にはその財産も一緒に喪失するだろうけど、後から取り戻すことも出来るもの。じゃによって、先ずは人命優先で、相手の攻撃を止めることが最優先なのでは、という意見は部分部分では確かに正しいのかもしれない。でも、ロシアは過去同様の事を周辺国に行っていて、それが回復したという話は一向に聞かない。また、「一旦引いて」とは言っても、「第二ウクライナ」みたいな場所があるわけではなく、ウクライナ国民は周辺国やその他諸外国に避難しないといけない。当然、全ての避難民が一箇所に集まれるわけではないから、そこで意見集約をして故国再興を目指すとなると、難しくなることは過去の例を見ても明らか。大体、ウクライナ国民は4000万人余りの人口らしいけれど、受け入れる周辺校にしても大変な数の人流な訳で、そう簡単にできるわけじゃない。

このテリー伊藤氏の発言記事をみていて感じたのは、多分この人や同様の意見の人達には「戦争」の実感は無くて、代わりにサッカーとかラグビーとかの対戦型スポーツがイメージされているんじゃ無いのだろうか。だから、戦いの場所であるフィールドから一旦ロッカールームに退避して、そこで準備を調えてまたフィールドに出て行く、みたいな事が暗黙的に頭の中で置き換わって想像しているような、そんな印象を私は受けるんですよね。大体日本にしてみても、北方領土や竹島等、一旦武力で奪われた土地を、戦後70年も経過しても状況が変わっていないことを考えたら、それよりも大きく激しい今のウクライナの状況が、そう簡単に変わるとは思えないのだけれど。

そう言う意味では、もし何か言うのであれば「ウクライナを〇〇」ではなく、「ロシアは××」と言うべき何だろうな。ロシアに批判的・好意的な色々な意見を聞いてみても、今回のウクライナ侵攻に某かの分がロシアにあるとは自分は全く感じないので、仮に何か言うのであれば「ロシアの即時撤退、戦争被害の賠償、再発しないための確約」という事を筆頭になると思う。ウクライナ側も、これまでにロシア側に侵入するとか、それこそインドとパキスタンの流郵券争いみたいな事をやっていたなら別だけれど、そう言う事は無いし今回の場合はロシアの一方的な侵攻なんですからね。今後仮にNATOや米国の直接介入が発生したとして、将来的に紛争が終結するとしても、結局はこれまで以上の被害が生まれてその結果として終結することだけは明らか。それがどれほどの効果を持つのかは分からないけれど、やはり周りからの圧力でロシアという国の人達の考えが変わり、極々一部の責任者をその地位から外させることが一番の解決策のような気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿