ITmediaの記事から、BIOSとUEFIに関して。テクニカルライターの大原雄介氏の連載ですが、昔を思い出し懐かしみつつ毎回楽しみにしている連載の1つ(笑)。私自身「パソコン(PC)」の前進である「マイコン(=マイクロコンピューター)」に触れるのは大学に入ってからなんですが、その前高校生の頃には工業高校に行っていた友人が一寸マイコン(正確には「ワンボードマイコン」とか「評価キット」と呼ばれていた、CPUだけのボードコンピューターみたいなもの)を弄っていたこともあり、多少の知識はあった程度。そう言う意味では、パソコン黎明期を一寸囓りつつ、創世記から現在まで経験していると言って良いのかな。
会社に履いた当初は、ホストコンピューターの端末開発の仕事をしていたのでパソコンとは暫く無縁でしたが、3年位してアメリカの開発チームの助っ人みたいな形で出張に行かされて、そこで初めてパソコン開発に関わり以来30数年(遠い目...)。もともと、ホスト端末の開発時代から「診断プログラム(Diagnostic Program)」開発をしていたので、ソフトエンジニアでありながらハードウェアにも詳しくないといけないという、コウモリ的エンジニア(笑)だったので、BIOSっぽいこともコーディングしたりしていましたし、BIOSもよく利用してたまにはBug見つけて上げたり。ホスト端末ではBIOS何て言うものは無くて、半分BIOS半分OSみたいなモニタープログラムを準備して、それを最初に起動してその上で機能実行するような形のコーディングでしたから、その後パソコン開発に行っても結構ハードもBIOSもさらに上位のソフトウェアも理解しやすくて仕事の役に立ったのは、後からラッキーだったなと感謝したものです。
当時のBIOS開発チームには、"The BIOS"みたいなエンジニア氏(T氏)が居て、新しい製品を出すときにはこのT氏のレビューを受けないと出せない。彼が作成している「BIOS互換性チェックプログラム」があり、これにパスしないと駄目という厳しいルールが。これ、BIOSのコードだけでなく、ハードウェアの互換性チェックも兼ねているので、結構大変でした。だからハードウェアの初期段階からチェックをして貰うことは普通だったけれど、回路を最終製品のICに落としたらタイミングとか変わって通らなくなった、何て言うこともあって、あの頃は大変だったけれど今思い出すと良き思い出。あるいみ、ああいう徒弟制度というか専門職みたいな人が、いろんな分野に突出して存在していたから、どの仕事をするにしても鍛えられた気がします。
UEFIになって、BIOSの問題点は色々解決されたけれど、当時からも今もずっと存在している壁が一つあって、それはBIOSなりUEFIのコードを保存しておくROM(EEPROM)のサイズ。昔は64Kbytesとか128Kbytesとかだったものが、1Mbytesとかどんどんサイズアップしてきているけれど、サイズアップするときは、諸般の理由から大体前のサイズの倍なんですよね。例えば4MBのROMを6MBにすると言うのは面倒で、普通は8MBにするし、次は10MBじゃなくて16MBにと言う具合。だから、コード的にはサイズの上限は無くても物理的な保存区画の上限は存在するわけで、その辺りこれからどう解決していくのだろうか。まぁ、技術的には幾つかアイデアはあるんですが、多分各社色々やってるんだろうなぁ。あと10年もしたら「昔はUEFIなるものがあり」という時代になるのかも。
0 件のコメント:
コメントを投稿