実話(?)を元に制作された映画「新聞記者」を、Netflixがリメークして6話のドラマ化した「新聞記者」。しかし、元となる話題の一つである自殺した赤木氏の遺族の了解を得ずに制作・配信したという週刊文春の記事。その経緯から、一部界隈では話題になり、それなりに視聴率も上がっているのかな。Netflix側としても話題にしたいからでしょうが、こんなツイートを。でも、そこで言っている事は矛盾してないか?
- 「近年の政治事件をモチーフにしたこの作品は、きっと大きな議論を呼ぶことになるでしょう」と1行目に書いているんですが、「政治事件をモチーフ」という事は、この作品はノンフィクションでは無く「フィクション」という事ですよね? その「フィクション」の話から、どう議論が生まれるというのだろうか。事実ではない、架空の話を元に現実に対しての議論が生まれたら、それは捏造とか虚偽というレベルの話になるのでは。せめて言うのであれば、「近年の政治事件をモチーフにしたこの作品は、きっと大きな話題を呼ぶことになるでしょう」じゃないの?
- 「メディア、官僚、市井の人々... それぞれの正義がせめぎ合う中、(中略)公文書改ざんの真相に迫る。」と次に書いているけれど、「官僚の正義=公文書改竄」と言いたいのだろうか。それは「正義」じゃ無いよね。公文書偽造を問題・犯罪として追及するという内容であれば、「それぞれの正義がせめぎ合う」という言い方は間違ってるんじゃないの。あえて言うのであれば「それぞれの思惑がせめぎ合う中」くらいだろう
- 「真相に迫る。」と結んでいるけれど、ノンフィクションの作品の「真相」って何だろうか。せめて「このドキュメンタリーが真相に迫る」というのであればまだ理解出来ます。でも最初に「モチーフ」と言っている以上、ドキュメンタリーでもないし、ましてやノンフィクションでもない。正確には「...真相に迫ると言う物語が展開されます。」というのが正しい記述じゃないだろうか。あくまで映画の中のストリー展開でそう言う場面があるという意味ですよね。
で、この話題を取り上げている文春の記事では、原作を書いた東京新聞・望月衣塑子氏には、「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」と言われているらしい。ご本人が悪事を追及するために執筆した書籍を元にした件に関して、一切関わるなと言うのも不思議な事だし、その著書の中で権力に立ち向かうみたいな事を言っていたご本人が「会社の上層部の言いつけを聞く」というのもおかしな話。以前は、あれだけ「こんな権力を許してはいけない」みたいな事を言っていた人が、最近はその発言をとんと聞かなくなったように思うんですが、一体何がどうなればそうなるのだろうかとご本人に聞きたいくらい。結局は、自分が先頭になって神輿を担いでいたつもりが、ふと気がついたら自分自身が神輿になっていた、と分かったのかな。散々騒いで、その当事者はいつの間にかほっかむりをして何処かに消えているのに、一番助けが必要な遺族だったり、関係者だけが後に残されて、そのツケを払わされるだけ。ああいう人達とは、どんなに有利な条件を示されても、決して関わり合いになってはいけないという事例のような気がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿