2021年12月21日

多様性とは

佐々木俊尚氏のnoteから、「多様性」を主張する「多様性否定論者」について。書かれているように、過去は普通であったり常識で有った物でも、時代の流れとともに許されない行為や考え方として扱われることは珍しく無い。ただ、その中には明らかに人権侵害、性差別、人種差別等許されないレベルの物から、新しい考え方や様式に合わせた考え方や分類といった、新規に追加されるような要素の物まで、その内容は千差万別。一般的に「多様性」と言われている内容に関しては、その後者に含まれるものが多いと私は思います。

であれば、その新しい考え方をこれまでの集団の中に追加すれば済むはずの物が、これまでの物を否定して新しい物のみを許す、あるいはそれをデフォルトとして扱わせようとするから、軋轢が生まれて摩擦が発生して、反対論が生まれてくることはこれまでの幾つかの事例が証明しています。よく言われる「夫婦別姓」に関しても、今の社会で同性に変わることで不便があるという事は理解出来るけれど、夫婦同性の場合でも旧姓使用可能な場合は出てきているし、「夫婦別姓賛成」の場合でも、それも選択肢の一ついれるのであれば賛成する人も多い思うけれど、「それだけにする」事を主張するから、夫婦同姓の人たちだけで無く、夫婦別姓賛成の人たちからも反対を受けるような立場になってしまう。

私の自宅地域でも、アジア系、南米系、欧米系、複数の国から来日して生活している家族が結構いらっしゃいますが、例えば自治会の集まりだったり、ゴミ出しなど日々の生活習慣であったり、慣れている人、不慣れな人、理解していない人、無視している人、正直色々なレベルの人が存在しています。その中で、自治会としてのルールは守ることは、その地域で生活する上での最低限のルールだし、そこに国籍だとか滞在理由等は関係無い。慣れない人には、担当者が説明したりして覚えて貰う努力もして居るし、多くの人はそう言う事を理解してルールを守るだけで無く、順番で担当者になれば自治会に参加することも。そうやって地域に溶け込み、これまでの要素の中に新しい要素が付け加わる事が、本当の意味での「多様性」なはずで、そこに「〇〇の人は××が出来ない」とか変な決めつけをしたり、「〇〇さんは不慣れだから大目に見て」みたいな変な優遇措置みたいなものを言い出す事は、それこそが多様性を無視するあるいは否定する行為だと思う。

場合によっては、著名人や有名人が何か発言すると、それが事実みたいな感じで受け入れられてスタンダードになってしまうけれど、本当は「それも意見の一つ」であり「それだけが事実では無い」はず。でも、結構多くの場合その「一つの新しいスタンダード」こそが正義であったり善であると言われて、それ以外の特に旧来の仕組みや習慣が否定されて、場合によっては断罪されるようなこともあるけれど、全部が全部そんなケースばかりじゃ無いだろうか、そこには何か別の意図があるようにしか感じられない。 多様性の話の中に、何か「極論」を持ち込んでくるような場合は、多くの場合そういうねじれた結論を期待しているような気がします。だから、「多様性」を本当に重要視して居る人は、多分「多様性」とは余り言わないんじゃないだろうか。多様性を強調する人は、その度合いが強ければ強いほど、何か胡散臭さを感じてしまう。でも、それって、結構当たる場合が多いんですよね。そこが多様性の最大の問題点だと思う。

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