2021年10月31日

選択肢不足

永江一石氏のコラムで、ちょっと面白い視点だなと感心したもの。現在の小選挙区制は、基本1選挙区から一人の国会議員を選出するものだけれど、その為に大体1つの政党から一人の候補者が立候補するのが精一杯で、となると正当的には応援したくても、その候補者に対しては疑問が有る場合に投票先に困るという話。そりゃそうだよね、誰か一人を選べ、というのは中々難しい。100%その人に同意できる、支持出来るという人材は、選挙で無くても先ず見つからないものだし。

今回の衆議院選挙で、静岡県の選挙区は人口分配して8区有ります。ですから、各選挙区から一人ずつ合計8人の議員(プラス、比例での当選議員)が誕生するわけです。浜松市も、7区と8区二箇所に分かれていて、となると同じ浜松市内に住んでいても、別の日とを選ばないといけない。同じ政党の候補者同士でも、あっちの人の方が良いなと思うこともあるかもしれない。私が子どもの頃は、確か静岡県の選挙区は東部・中部・西部の3区画くらいで、それぞれ2人とか3人とか当選者があって、言ってみれば競争で順位を競うみたいな感じで、子供心に運動会気分だったような気がします。当時の静岡県は「保守王国」と呼ばれていて、大対自民党の候補者が当選して、最後の一枠で野党候補との争いで勝ったり負けたりみたいな感じだったかな。だから、同じ自民党の候補者でも競り合いが厳しかったように思います。

それが今のような状態になり、結果的にはその人を選ぶのでは無く、何となく所属政党を見て入れるような感じに最近はなってきたのかな。ただ、その人の人柄は信用できるけれど所属している政党は信用できないとか、その逆の場合も有るだろうし、そう言う意味では選挙という「選択行為」なのに、肝心の選択肢が少ないと言うか、全く自分の興味外の場合も多いでしょうね。だから、東京とか大阪とか、大都市圏ならば複数候補者での丁々発止の競争も生まれるんだろうけど、浜松市の場合なんて例えば候補者二人なんていう選挙区もありますからね。まだ、無投票当選で無いだけでも良いのだろうけど、それでも候補者が良すぎて選択に迷うならまだしも、どっちも不満でババ抜き状態だから目も当てられない。

選挙の時には「一票の格差」が毎回問題になるけれど、それと同じ位「候補者の格差」問題も考えないといけないのでは。「いゃ、候補者に不満があるなら、自分が立候補するとか、自分が支持したい人を担ぎ出せば」という話も有るかもしれないけれど、泡沫候補ならいざ知らずやはりちゃんとした人というのは一朝一夕では生まれてこない。昔のことだから何となく良かった印象だけが残るのかもしれないけれど、例えば二人の候補者が同じ政党から立候補すると、一人はベテラン、もう一人は若手という組合せが多くて、「師弟制度」とは言わないけれど、そんな感じでその地区の政治が継承されていった気がします。だから、それなりに安定していたし、安心も出来たのかもしれない。小選挙区制度の場合、All or Nothingで落選した候補者の票が丸々死に票になるという批判も聞いたことがありますが、政治家の資質が問われている今、選挙区制度の修正というのも1つの対策になるのかもしれない。

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